江副直樹/ezoe naoki

事業プロデューサー/クリエイティブディレクター/コピーライター/福岡デザイン専門学校特…

江副直樹/ezoe naoki

事業プロデューサー/クリエイティブディレクター/コピーライター/福岡デザイン専門学校特任講師/大阪芸術大学客員教授/ブンボ株式会社代表取締役/ヤマメのフライ釣り師/鮎の友釣り師。大分県日田市在住。https://bunbo.jp/

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  • プロデューサーはペテン師か?

    九州、大分、日田。田舎に暮らしつつ、全国で多様な分野のプロデュース。そんな日々の問わず語りを13年、1300話以上のブログを書いてきた。noteにも徐々に新旧記事を転載中。https://bunbo.jp

最近の記事

Howの蓄積。 2021.5.1

近ごろ改めて、常識の功罪を考えている。大阪のプロデューサーとやっているYOU TUBEのテーマを「常識と非常識」にしたこともあって、常識を自分なりに解析してみたりしている。すると、また少し鮮明になったことがある。実は常識は役に立つ。いや本当だ。 但し、平穏無事な時代では。そんな注釈が付く。常識とはHow的な知恵の集合体。僕らが日々を生きていて、衣食住、冠婚葬祭といった暮らしの折々で、いかに振る舞うべきかを教えてくれる便利な知識の体系。常識を、退屈で鬱陶しいものとして生理的に

    • ビーサン考。 2021.4.25

      ビーサンが好きである。ビーチサンダルを略してビーサン。毎年4月には履き始め、11月頃まで愛用しているので、およそ年の半分以上は世話になっている計算だ。他の衣類などと比べても、こんなに日常的に身に付けているプロダクトは見当たらないと思う。 勤め人ではない上に、定型を嫌う気持ちが常にあって、いわゆるスーツ、ジャケットの類もオリジナルをデザインしたりしつつも、40歳を超える頃には着なくなっていた。そんなスタイル変遷とも相まって、快適なビーサンはじわじわ主役に近い位置になってきたの

      • 一枚の写真から。 2021.4.19

        いまから37年前に撮影した写真。巨大なサクラマス。僕は当時失業中で、持て余す時間を利用して、この魚の調査に勤しんでいた。晩秋の数週間、防水カメラと借りたビデオを持ち、毎日1人でダム奥の小渓流に通った。ある日の夕刻、幸運にも数枚の撮影に成功した。 北九州のとあるダムに流れ込む小さな渓流。そこに巨大なサクラマスが産卵に遡上することは、一部の釣り人の間では公然の秘密だった。ヤマメの30%ほどは陸封される前の遺伝子を持っていて、下流にダムがあるとそれを海と錯覚してサクラマスに変わる

        • キチガイに刃物。 2021.4.13

          この世には、大小様々な矛盾があるが、軍事政権ほど筋の通らない出来事はないのではないか。まがりなりにも選挙で選ばれた政権が、武器を携えた軍隊に無理矢理乗っ取られて、国民の自由が奪われ、圧政が敷かれる。法律も何もあったものじゃない。それ、政治? いやいや、それはただのテロだよ。あのナチスだって、選挙を経て、合法的に与党になったのに。それ以下。国民を守るための銃口が、その国民に向けられ、ついには銃撃さえ。シビリアンコントロールもものかわ、胸に勲章をいっぱいぶら下げた軍人が、統治権

        Howの蓄積。 2021.5.1

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        • プロデューサーはペテン師か?
          329本

        記事

          狩猟と農耕。 2021.4.9

          縄文と弥生とするのは、あまりに乱暴だろうから、基本的なライフスタイルで分けてみた。でも、伝えたいのは人のタイプ、性格の違い、生き様の差といったあたり。近ごろ、いろんな方々と仕事をしていて、こうした根本的な違和感に包まれることが度々ある。 クリエイティブ系と事務系の差にも似ている。つまり、狩猟タイプは結果が出れば良く、過程をどんなに着実に積み上げても、逃げ回る獲物が手に入るかどうかはわからない。刻々と変わる状況を見ながら、都度最善の打ち手を決めていく。アドリブと決断の連続。一

          狩猟と農耕。 2021.4.9

          editforest発進。 2021.4.3

          エディットフォレストと読む。和訳だと編集の杜。なんだそれ。まあ、そうだよね。そもそもの始まりは、九州経済産業局のデザイン系のプロジェクト。普通なら、クリエイターが集結するその場に、西日本新聞社が参加していた。それがすでに新しい萌芽だった。 言うまでもなく、マスメディアは変化の只中にある。情報を筆頭に、膨大なストックを持つ新聞社が、クリエイティブに関わる可能性は大いにある。時はコロナ禍の只中。繰り返されるオンライン会議。言葉少ないTさんが、ある瞬間にいきなり饒舌になった。僕が

          editforest発進。 2021.4.3

          使わない言葉。 2021.3.28

          世にはいろんな言葉が行き交っている。文字離れなどと言われながら、その実こんなに人々が文章を書いている時代はない。それを加速させたのは、言わずと知れたSNS。糸井重里氏だったか、「いまの人は、読み過ぎ、書き過ぎ、調べ過ぎ」と喝破した。まったくもって。言葉は時代と共にある。日本語の乱れを嘆く良識派もいらっしゃるが、これは自然の摂理とも思う変遷。表現には、時々の空気と旬が必ずあるから。しかしである。そのすべての新語を使いこなせるかというとそれはまた別の話。多くの人が使い始めても、馴

          使わない言葉。 2021.3.28

          センサー群。 2021.3.22

          センス、などという。ファッションセンス、スポーツセンス、言わんとするところはなんとなくわかる。同じ服を着ているのに、同じ動作をしているのに、片方はやたらかっこよく、でも他方はそうじゃないことが、確かにある。ここは衆目一致するところだろう。 ルールがあるわけじゃなく、ただひたすら己の感覚に従っているだけ。無自覚なのにできてしまう。良く引き合いに出すOSとアプリに喩えると、これは恐らくOS領域で起こっていることで、言ってみれば、具現化をアプリに委ねる前に、すでに勝負がついているこ

          センサー群。 2021.3.22

          手描き復活。 2021.3.17

          ずっと気になっていた。PCを触り始めてもう何年になるだろう?いつのまにやら作文は、ペンと原稿用紙ではなくて、キーボードとモニターの作業になってしまった。筆と和紙が、万年筆と洋紙に変わったような、いわゆる道具の変遷とは少し違う。いや、だいぶ違う。 決定的に異なるのは、一部の脳の不活性だ。端的に言えば漢字を忘れる。これはもうおぞましいばかり。教員などをやっていると、板書の機会が少なからずあるが、ボードに向かったまま手が止まる。かつては、反射的に手が動いていたが、動かない。改めて

          手描き復活。 2021.3.17

          技術の手前。 2021.3.12

          タイトルを、「情報の手前」にしようかとも考えたが、言いたいことはこちらにもっと近いなと思い、技術の手前にしてみた。情報も技術も、何の前触れもなく忽然と現れるわけではなくて、情報は探している人が見つけ、技術は求めている人が引き出すと思っている。 こんな情報があればいいなとか、あるんじゃないかとかいった感覚。または、こんなことできたらいいなとか、できるんじゃないかといった妄想。超然とした夢物語ではなく、情報であれば微かだがボンヤリ見えているような、技術なら図面は描けないけど恐ら

          技術の手前。 2021.3.12

          毎朝の味噌汁。 2021.3.5

          ほぼ毎朝、朝食を作っている。数年前の逆単身赴任がきっかけで、元の暮らしに戻っても、なぜか僕の役回りになった。簡単なオカズを作ることもあるし、女房様が拵えた作り置きが出ることもあるが、味噌汁は必ず作る。いろんな野菜を具として、すり味噌を溶いて。 以前は、インスタントも試したが、やはりちゃんと作るに勝るものはない。ただ、味噌漉しが面倒だった。片付けが。そんなことを考えていると、すり味噌という商品もあるではないか。米やら麦やらの繊維質が、ごっそり捨てられる違和感もあって、試してみ

          毎朝の味噌汁。 2021.3.5

          っぽいこと。 2021.2.26

          世間の何かに対する違和感は、誰しも多少は持っているだろう。その対象はさまざまかもしれないが、僕もずっと胸の底に溜まっていたことがある。本編、原本ではない、要約版やダイジェストが大手を振る風潮とでも言うか。ほら、なかなかうまく言葉にできない。 落語家の立川談志のドキュメンタリーを観ていて、あるフレーズが耳に残った。「落語家っぽい」。断片だが、少し視界が開けた。似非(えせ)だ。本物っぽいけど、本物じゃない。しかし、っぽい方がかえって受け入れられやすい皮肉。そうだ、僕はここに苛つ

          っぽいこと。 2021.2.26

          品行方正? 2021.2.19

          品行方正、少なし仁。若い頃はこんなことを言ってふざけていたものだ。生まれてこの方、優等生だったことは一度もない。当時は開き直って、そんな戯言を吐きながら悪友どもと笑っていたのだが、最近の世の中の潔癖性向には、言いようのない違和感を感じている。 芸能人の不倫騒動はまだしも、政治家の失言やスキャンダルを、針小棒大、なにか大罪でも見つけたように大騒ぎし、ついには引きずり下ろしてしまうメディアと大衆。当事者たちは、まるで社会を清めているようなご気分かも知れないが、本当に良くなってい

          品行方正? 2021.2.19

          枠と中心。 2021.2.14

          コンセプトの話をしているとする。どこからどこまでがOKで、どこからがOUTなのか?と尋ねられることがある。つまり、敵は線引きがしたいのだ。明確な正誤の境界があって欲しいと望んでいる。コンセプトメイクとは、枠を作る作業だと思われているらしい。 イメージの話をしているとする。こんなのはどうです?はたまたこれは?と合致しているかどうかを問われることがある。白黒はっきりつけたいようなのだが、イメージの輪郭は概ねボンヤリ滲んでいることの方が多いんじゃあるまいか。だから、コンセプトもイ

          枠と中心。 2021.2.14

          赤紙到着。 2021.2.8

          この正月で65歳になった。長いようで短いようで。短いようで長いようで。若い時は想像すらできなかった老境。だが、いざ我が身を置いてみると、そこにはまた新鮮な風景が広がっている。いい気なものだ。どんな変遷があったところで、世界の中心はいま、ここなのだ。 赤紙が来ると聞いていた。介護保険を受けることができる事実の知らせを、召集令状の葉書になぞらえる先輩方の洒落。そしてそれは本当にやって来た。誕生日から遠からぬ某日、封書が届いた。中には、赤ではなくて薄緑の「介護保険被保険者証」が入

          赤紙到着。 2021.2.8

          伊藤靖浩くん。 2021.2.1

          2018年の夏、心当たりのない人物からFacebookのメッセージが届いた。突然の連絡を詫びる言葉から始まるその文章には、「FBで偶然見かけたのですが、もしかして36年前に渓流で出会った江副さんですか?人違いならごめんなさい」とあった。たちまち、記憶が甦った。 当時、20代の終盤だった僕は、家業の米屋を手伝いながら、先の見えない日々の只中にあった。一方、24歳の春から始めたフライフィッシングは、病膏肓に入りあちこちの渓流に出掛けていた。中でも良く通ったのが、北九州のダム湖に

          伊藤靖浩くん。 2021.2.1