汎用と抽象01

汎用で抽象。

ブリコルールという言葉を知ったのは、もう随分前。仏の大哲学者、レヴィ・ストロースの言説。曰く、ジャングルを歩いている原住民が、見かけた棒っきれを拾う。その時は、それを何に使うか決めているわけではないが、「なんとなく気になって」持ち帰る。云々。

それがある日、唐突に何かの役に立つ。直感的に知恵の本質的なカタチだと思えた。最近、友人の小倉ヒラクの本「発酵文化人類学」を読んでいたら、ブリコルールとそれを使いこなすブリコラージュ(器用人)なる記述があり、膝を打った。あるあるそんなこと。ボンヤリと、ホントにボンヤリと浮かぶアイデア。その時点では、何かの解決策とわかっていない。
でも、イケそうな汎用的イメージ。ちっとも具体的じゃないから、実に抽象的。いや、多様な課題に有効なアイデアは、当然汎用的であって、勢い抽象的に決まっている。個別具体的なアプリではなくOS。分子ではなく分母。僕の中で、これは日々起こっていることだった。プロデュースは、とても汎用的で、故に抽象的。わかりづらいのはもっともだ。やれやれ。

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・無意識にスクリーニングしているのかも。すると思わず引っかかったり。

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・トイレットペーパーをトイレットペーパーとだけ見ない感覚とも言える。

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・多様なアプリが乗るOSは汎用的。分子と構成される分母の抽象性も酷似。