言葉の仕事01

言葉の仕事。 2018.6.23

つくづく自分は言葉の人間なのだと思うことがある。子どもの頃から、作文が得意だったり、読書を好んだり、音楽は曲より歌詞が耳に残ったり、長じて紆余曲折の果てにコピーライターになったりと、まあ確かにそちら寄りの脳みそと感覚でできているんだろう。

そんな緩い自覚はもちろん持ってはいるのだが、この10年余りは、学校や講座での講師だったり、ゲストとの対談だったり、さらには複数のスピーカーのファシリテーターだったり、やはりその中心に言葉ありきの仕事がやたら増えている。なにより、日々のプロデュース業は、会議進行や打合せと、これでもかと言葉と文字に溺れんばかりに過ごしている。
アイデアに押し出された言葉が、抽象をかたどって突如可視化される。源流の一滴に、次なる雫が注がれ、流れが起きる。既知の言葉が、新たな引き出しに移されて、語感の更新が行われる。この時、言葉は新しい旬を纏うのである。言霊は次々と人々に乗り移って、特定のイメージが共有される。最近の僕の仕事を気取って言うと、こんな感じかなあと。

画像1

・普段の授業は、3年生を相手に脱線に次ぐ脱線を楽しみながら。

画像2

・南畑地域活性化協議会で進行補助。頃合いを見てコメントを入れる。

画像3

・ひろかわ新編集の会議。会議は明るくて楽しいほうが絶対うまく行く。