千鶴のティータイムvol

フォロワー100人突破記念!『物事をはっきり言う事の大切さについて問う』千鶴の小休止なお喋りティータイム vol.2

ごきげんよう、蝦空千鶴じゃ。
わらわのフォロワーがなんと100人を突破しており、とてもありがたく、心より深く感謝申し上げま鶴。

現在、わらわが投稿しておるものは、これを除けば6つほどになる。
また、今もわらわは短編小説『わたしの物語美術館』後編の方を、
執筆中じゃ。こちらのコラム記事は、パソコンで書いておるが、
それ以外の小説に関しては、
全部、ぜ~んぶ原稿用紙にボールペンで手書きで書いておる。
noteでは意外と長い部類らしく、
それでも読んでスキしてくれる方がおり嬉しい限りじゃ。
中には、モダンアート研究をされておる方や、現代アート研究をされておる方もおったようでびっくりした。
わらわが丹精を込めて書いた物語なので、まだ『わたしの物語美術館』前編(note短編小説)を読まれていない方は、こちら↓
https://note.mu/ezoranote/n/nc2213210167d?creator_urlname=ezoranote
是非、読んでいただけたら、と思いま鶴。

はてさて、今日、皆に語りたいことは、
物事をはっきりと言う事の大切さ』についてじゃ。

残念じゃが、日本人の特性でもあるのじゃが、日本人は物事をはっきりと申すことに躊躇する傾向がある。
厭なら厭である、とはっきり申せば良いのに、結論を先延ばしにして、
結果、余計物事が悪しき方向に進んでしまう。

これを読まれている方、おそらく何か、心当たりはあるんじゃなかろうか?

『あのときこうしておけば良かった』とか『あの時、ああ言っておけば良かった』とか。手遅れになってから、ああでもない、こうでもない、って言ったって、もう遅いのである。
はっきりとモノが申せないこと――日本人のものすっっっっごく!悪い癖である!
言わないで後悔するくらいじゃったら、言ってすっきりした方が良いのではないじゃろうか?
もちろん、何かをはっきりと申したことで、時として、状況によっては相手を傷つけてしまうこともあるかもしれぬ。
じゃが、相手にしっかりと伝えなくてはならぬことを、いつまでも先延ばしにし、言う事を恐れることは、
余計、相手に対して、極めて失礼でもあるのじゃ。
そりゃあ当然、言い方じゃってある。
大人気なく、わざと相手が不快になるようなことを言ってはならぬということくらいは大人であれば、誰もがわかるであろう。
言い方に気をつけたうえで、それでも喧嘩になったり、また相手に嫌われたりするようであれば、所詮はその程度の仲ということなのじゃ。
余計な争いを避けたいというのが、今の日本人の良きところでもあり、同時に悪いところでもある。


ちなみにじゃが、これは自慢にすらならんが、わらわなんかアンタ……、
物事を超ド直球で申すものじゃから、しょっちゅう嫌われておる!

まぁ、それはともかくとして。
わらわのように、はっきりド直球で申せとまでは言わんが、
しっかり言うべきことは言う。
良いなら良いと言う。厭なら厭である、とはっきり言うことが今の日本人には大事なことではなかろうか。

なんで今回、わらわが、こんなことを申すか――。
さすがに知らない者は、おらぬかもしれぬが、
一昨日台風があったじゃろう?
で、関東地方などでは大変な被害に見舞われた。

さすがに台風通過のすぐ後の電車は動かず、ちゃんとした大手企業とかじゃったら、『電車が動く見通しが不明だから休んでくださいね~』と、
言われておるそうじゃ。じゃが、
それ以外の企業――いわゆるブラック企業とやらは、電車が動かずとも何としてでも来いなどと抜かすようなのじゃ。
論外な企業じゃと、自己判断でとか、あるいは連絡すらなし、であるそうじゃ。そのように人を人と見ていない、一つの道具として数字としかみていないブラック企業が悪いに決まっておるのじゃが
それをはっきりと断れない社員じゃって悪いのである!
行けなくて、どうしようもないものは、断ればよかろう。

ライフラインとか、急病患者とか、事件とか、そういった、いわゆる緊急を要する職業の方は、また別じゃ。
(……っていうか、そういった緊急を要する職業の方は、大概、その職場の近くに住まわれておると聞いたがのぅ。)

わらわが申しておるのは、いわゆる相手の気持ちがわからぬクソ上司の犬になっておるブラック企業の社畜に対してじゃ。
今“もし”これを読まれておる、社畜なそなたよ! 
……キミさぁ、本当にこのままで良いのかね? 良いわけがなかろうに。
どうすれば良いのか、結局、決めるのは自分自身であり、
誰かが何かをしてくれるわけではないのである。
働き方改革なんてよく聞くが、身の回りの環境を変えていくのは、自分自身、己自身であることを理解せよ。
誰かが何かをしてくれると思って待ってても何も来たり
あるいは、変わったりはしないのである。
自分でよーく考えてみて、今のままでは良くないと思うんじゃったら、積極的に行動を起こすことである。

わらわは鶴であり、普段は、空を飛んでどこまでもあらゆる世界に行ったり、そしてライトノベルの研究をしたり、
ライトノベル――ラノベをどう究極的に発展させるかを地道に研究中じゃ。
実に地道な研究じゃが、
それじゃって、改革をしなくては、このままでは何も変わらぬと思ったからである。
エンターテインメント――エンタメが徐々に飽きられ、
衰退しつつあるのであれば、それを越えるもの、
あるいは、越えようという究極のジャンルを確立させ、
そしてムーブメントいわゆる社会現象・大衆運動を引き起こすのみじゃ。
じゃからこそ、わらわは令和元年に誕生したのである。

今の自分の厭な状況をネットの掲示板とか、
あるいは友達とかにガタガタと無意味に愚痴るのではなく、変わって欲しい、あるいは変えたいと思う気持ちがあるなら
何もせず、口ばっかりガタガタ抜かしてねぇで行動で示せ!
正しいと信じて行動を起こす、その勇気が大事である!


……というわけで、
簡単ではあるが、本日はここまでじゃ。読まれていただき誠に感謝するぞ!
わらわは、小説の続き『わたしの物語美術館』を執筆しま鶴。
後編もよしなにm(_ _)m
ご意見・ご感想など、あるいはフォロー大歓迎じゃ♪ 
いつでもお待ちしておりま鶴m(_ _)m

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皆様からの暖かな支援で、創作環境を今より充実させ、 より良い作品を皆様のもとに提供することを誓いま鶴 ( *・ ω・)*_ _))