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ライター仕事でお店取材をしていると、ときどきカメラの前に立つことがある。撮影前に立ち位置や光の具合などを事前に確認するため、というときもあるし、お客さんのふりしてイメージカットを撮るため、というときもある。いずれにしても、カメラの前に立つと緊張する。カメラマンさんにとって、私の表情などどうでもいいってことはよく分かっているのに、無駄に緊張して、ものすごく疲れる。カメラの前にいると、世界中の視線が自分に集まっているかのような、ものすごい圧力を感じる。

そして思う。モデルさんってすごいなぁと。カメラの前に立ち、あんなにも自然に振る舞えるなんて。私には、カメラの前に立つということは、まるで自分を裸にされているような恥ずかしさしかない。カメラの前で自分が可愛いと思う表情を作り、カッコイイと思う仕草をして、こうしたらきれいに見えるだろうという動きをするなんて、死ぬほど恥ずかしいことなんじゃないのって思う。

でもこないだふと「表現する」というくくりで考えたとき、人に自分の文章をさらすのも、カメラの前で自分の姿をさらすのも、同じことかもしれないなって思ったのだった。私は言葉を使って自分をさらしながら表現をして、モデルは自分の身体を使って表現をしている、ただそれだけの違いじゃないかって。

人からときどき、私の文章はあまりに素直に、何もかもをさらけ出してると言われることがある(でもそれは暗に、よくそこまで書けるねってことだと思ったりする)。私にそこの恥ずかしさはほとんどない。同じように、モデルもきっと恥ずかしさなんてなくて、ただ「表現している」という感覚なのかもしれない。って気が付いたら、なんかいろいろストンと腑に落ちたのだった。

昨日、映画「海街diary」を見て、役者さんたちの演技があまりに自然体ですごく感嘆して、カメラの前で自由にさらけだせる人になったら楽しそうだなぁ、なってみたいなぁ、って思ったのでした。

文章でさらけ出すか、身体を使ってさらけ出すか。
身体を使ってさらけ出す才能にも心底憧れる。どんな気分なのだろう。


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