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KMNZはストリートに実在する

タイトルで結論を述べてしまった。
バーチャルガールズユニットKMNZ、MC LITAとMC LIZ。

FictyとWright Flyer Live Entertainmentが共同でプロデュースする、『けもみみの国』からやってきたけもみみガールズ。
彼女たちはストリートに実在する。

順を追って説明していこう。
・KMNZがいかにしてストリートに実在しているのか。
・そもそも「ストリートに実在する」とはどういうことか。
・KMNZのいるストリートとは、何処なのか。
これらを紐解いていこうと思う。
キーワードは、【music】と【fashion】

KMNZ×MUSIC -スタイルと文脈-

KMNZの活動の主軸となっているのが音楽である。デビュー直後からcover動画を出し、オリジナル曲も複数リリースし、音楽ライブにも幾度となく出演している。
KMNZのcoverは、選曲において特色がある。
スチャダラパーの「サマージャム '95」や、tofubeats feat, オノマトペ大臣の「水星」、くるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」など、HIPHOPやラップ、シティポップの系譜をたどるようにcoverをしていっている。
特にHIPHOPという文化ではcoverは大きな意味を持つ。サンプリングやRemix、bootlegなど、既存の楽曲を元に新しい音楽を創っていく手法が根底にあるHIPHOPは、継承の文化だからだ。そして、そのシーンにおいて問われるのは先人へのリスペクトと、楽曲に新たに命を吹き込むためのオリジナリティである。
KMNZの場合、最もわかりやすいのは、小沢健二 featuring スチャダラパーの「今夜はブギー・バック」coverだろう。

「オレスチャLITA in the place to be」「キミこそスゲーぜ LIZ MY MAN」といったリリックの改変。「今宵のREALITY」の、KMNZだからこそ成立するダブル・ミーニング。
ただ原曲のうわべをなぞるのではなく、原曲のリリックの意図をちゃんと組んだうえで、そこに自分たちの思いを、自分たちの言葉でのせる。そうすることでKMNZとしての新たな表現へと昇華されている。HIPHOPの流儀に則った形で、楽曲のcover=継承に成功しているのである。

一方で、KMNZのcover曲には、けいおん!の「ふわふわ時間」やらき☆すたの「もってけ!セーラーふく」、和田たけあき(くらげP)の「ビースト・ダンス」など、アニソンやボカロ曲も多い。
これらはHIPHOPやストリートカルチャーとは関係ないかというと、決してそんなことはない。
ここで一つ引用したい記事がある。

アニメキャラクターとストリートカルチャーが、表現の中で合流したことについての記事で、今回参照する部分の要点を述べると次の二点である。
・HIPHOPは生まれ育ってきた景色や見て来たものなどの、リアルな原風景から生じてくる表現だが、日本の場合はそのリアルな原風景にアニメや漫画、ゲームといった文化がある。日本のHIPHOPはこれらのアニメカルチャーを内包できる。
・自分の見て来たものや聞いたこと、影響を受けたものを詰め込んで、自分が何者なのかという自己表現を行うHIPHOPの手法が、ファッションの場でも用いられるようになった。
つまり、手法としてHIPHOPを用いるようになったファッションと、日本のリアルな風景としてのアニメが合流した結果、現代の表現にアニメ×ストリートの親和性が生まれたというわけである。
「自分が影響を受けてきたもので自己表現をする=HIPHOPの手法」という図式と、その「影響を受けたもの」の中にアニメやサブカルチャーも含まれること。この二点をここで押さえてもらいたい。

話をKMNZに戻そう。
KMNZのcoverの根底にあるのは、「好き」という気持ちである。アニソン、ボカロからHIPHOP、シティポップと、ジャンルは違えどそこに共通するのは、KMNZの二人自身の触れて来たリアルな原風景だということだ。LIZとLITAの二人自身がこれまで触れて来た文化や影響を受けたもの、思い入れのあるアニメ作品や尊敬するアーティストへのリスペクトが、そこに反映されている。
それはやがて、「KMNZらしさ」「KMNZのスタイル」へと変わっていき、ありのままのKMNZ自身の魅力になっていく。
何故ならその「好き」の気持ち、何に憧れ、どういったものを格好いいと感じるかという心にこそ、その人自身の価値観や美意識、感性が色濃く表れるからだ。
この「ルーツを語り、スタイルを確立する」手法こそ、まさにHIPHOPというストリートカルチャーの根源にある精神性であると言えよう。

そして、通ってきた文化に裏打ちされたcoverの選曲センスは、それを聴く私たちともリンクする。昔から好きだった懐かしい曲、何度も聴いた青春の思い出の曲、大好きなシーンの記念碑のような曲。そういった私たち自身の辿ってきたルーツと重なったとき、その選曲自体に特別な意味が見出される。
ただ有名な曲だからというのではなく、その曲がシーンにとって、文化にとって、そして何より自分にとってどんな存在なのかという「思い入れ」が、その曲に特別な意味を与える。そしてこの「特別な意味」が、同じ文化やシーンを知る人たちの間で通じ合った時、それは「文脈」と呼ばれ、人と人の心をつなぐ役割を果たす。
「KMNZの選曲は良い」と思うのは、その背景にある自分自身のシーンに対する原体験と共鳴するからこそ、いいと感じるわけである。
この時、音楽はKMNZと私たちをつなぐ共通言語になる。バーチャルもリアルも種族の違いも関係なく、「文脈のわかる人」同士で通じ合う特別なコミュニケーションが生まれるのである。「この曲いいよね」と思いを交わすとき、その「いい」の心がつながるのだ。

そしてKMNZの音楽は、coverだけでは終わらない。KMNZには、オリジナル曲がある。
1st single「VR - Virtual Reality」のトラックを手掛けるのは、”Kawaii Future Bass ”の提唱者として知られるUjico*/Snail's House。

2nd single「Augmentation」は、"萌え×French Electro"の旗手Moe Shopの放つダンストラック。

そしてLiz自身の生活の実感が詰まったLizソロ曲「Home Sweet Home」は、"Kawaii Future Rock"を開拓する音楽ユニットNeko Hackerの作曲だ。

シーンの最前線で活躍するトラックメイカー達のサウンドと、KMNZの活動を支えるスタッフチーム・KMNCREWのリリックに乗って放たれたKMNZのオリジナル楽曲は、瞬く間にヒットチャートを飾り、バーチャル・ミュージックシーンに確かな存在感を刻んだ。
そしてKMNZオリジナル曲の活躍はまだまだ終わらない。シーンをけん引する楽曲が次に担うのは、新たなムーブメントの原動力としての役割だ。
KMNZは、二次創作に対するポリシーとして、KMNREMIXというガイドラインを出している。「KMNZを応援するための、ルールを守った二次創作は歓迎」というスタンスのもと、ファンアートの推奨のみならず、オリジナル曲「VR」の音源を無料配布し、Remix作品を募っている。

これを受けて、数々の#KMNREMIX作品が生まれてきた。

今度は、KMNZの音楽が、共通言語となって人の心をつなぐ側になったのである。
リスペクトにはリスペクトで答える。これもまた「ストリートの流儀」だ。

シーンを愛し、シーンに愛されることで、KMNZの音楽はストリートカルチャーに根差したものになった。
そしてこの「ストリートならではのやり方」、音楽を共通言語として心を通わせる「文脈」の共有によって、KMNZはバーチャルとリアルを音楽でつなぐことにも成功したのである。

KMNZ×FASHION -ブランドと街-

KMNZの服装は見ての通り、スニーカーやパーカー、ヘッドホンにキャップといったアイテムに包まれており、一貫性のあるストリート系のコーディネートとして組みあがっている。(特に靴がマストアイテム)

キャラクターデザインとしての姿や顔立ちだけでなく、服装に具体的なコンセプトを持たせることで「こういう服を着ている」というファッションの感性や、ライフスタイルまでもが感じ取れるものになっている。さらにはファッションのコンセプトから逆算して「この服が着られている街、世界観」といった、ファッションの背景にある文化までもが見えてくる。ストリートというバックボーンを背負うことで、服が単なる体を覆う布ではなく、文化に根差したファッションとしての説得力を持つのである。

そして、その「ファッションとしての説得力」が生み出すものがある。

KMNZオフィシャルグッズストア、KMNSUPPLY
この店に並ぶ服やアイテムにプリントされているのは、KMNZの姿やイラストではなく、KMNZのロゴマークだ。

ロゴマークというものは、企業や団体、チームが発信するイメージを可視化し、形として表す。「私たちはこういうものを作っています」という思想や価値観を、ひとつのシンボルにまとめ上げ、見る人に一瞬で想起してもらうためのアイコンだ。
KMNZのロゴも同じく。LITAとLIZの姿を目にしたり、KMNZの動画を見に行くとき、そこには必ず「KMNZ」のロゴがあった。それは単なる4文字のアルファベットではなく、「KMNZというアーティストが作り上げたアートワークである」と証明するサインに他ならない。そしてKMNZが発信してきた価値観と共鳴し、作り上げて来た作品を素敵だと思う人たちにとって、KMNZロゴは特別な価値を指し示すシンボルになる。
この「特別な価値」が生み出すもの、それは「ブランド」である。

KMNSUPPLYは、KMNZというキャラクターのグッズではないし、KMNZのコスプレグッズでもない。KMNZが創出した、バーチャル生まれのファッションブランドだ。
KMNZロゴがブランドシンボルを示し、KMNZをキャラクターではなくブランドモデル=発信者そのものとして位置づけた。そしてブランド価値の源泉となるのは、KMNZというアーティストチームの在り方として発信され続けて来た表現だ。
この図式があるからこそ、KMNSUPPLYはKMNZのファンたちにとってのファッションとして機能する。自らの所属コミュニティを表明し、「身にまとう価値観」という自己表現として、KMNZブランドを着ることに意味が生じるのだ。
だからこそKMNSUPPLYは、キャラクターグッズではなくアパレルブランドとして成立できたのである。

さて。
Vtuberのアパレル展開、というだけなら、ほかにも例はある。
しかし、Vtuberのアパレルがストリートファッションとして成立するためには、このままではひとつ問題がある。
バーチャルなブランドモデルの服を、そのままリアルのユーザーに提供した場合、どうしてもバーチャルとリアルの間に境界が生まれてしまう。KMNZはバーチャルに、HZたちはリアルにいて、その身体感覚には次元的なワンクッションがある。さらには、HZたちもインターネット上のコミュニティでつながっているのであって、リアルのストリートブランドと違って地理的な同一の場でのつながりがあるわけではない。
このため、「その服を実際に着て楽しむ」という場が地続きにならない。個々のばらばらなファッション体験を、ひとつの文化圏として統括する具体的な地域性に欠けてしまうのである。

ここからが本題だ。
KMNZには、この隔たりを埋める決定的なものがある。
他所のどこにもない、このバーチャル界隈でおそらくKMNZだけが持つ特異点がある。
バーチャルとリアルが同じ服を着て楽しむ場所。バーチャルとリアルをもう一歩近づかせる空間。バーチャルとリアルが同じ文化で交わる街。その明確なビジョンが存在するのだ。

その街の名前は、KMNHZSTORYT。

#KMNHZSTORYTとは何か。
まず、KMNZのファンネームがKMNHZ。
ある時、KMNHZの擬獣娘化キャラとして「HZM」というキャラクターが生まれた。

その後、HZMちゃんの他にもKMNHZの擬獣化キャラが生まれ、彼らのストリートでの交流を描いたアートが生まれ始めた。

やがて数多くのKMNHZたちが自身をKMN化し、このストリートの世界観に集い始めた。

こうして生まれたムーブメント。KMNHZたちが、自身のKMN化アバターとしてオリジナルキャラクターを生み出し、KMNストリートの住人となる。この一連の創作群と表現形式が、KMNHZSTORYTである。

KMNHZが作り上げた街なので当然、KMNZのファンコミュニティである。そして、KMN化した自身のアバターを描くのは、これもひとつの自己表現の形に違いない。
つまり、「所属コミュニティの表明+自己表現」という原理において、KMNHZSTORYTはKMNZのブランドと地続きのファッション文化圏上に存在する。バーチャルとリアルの垣根を越えて同じファッションが通用する、具体的な街のビジョンになったのである。
KMNHZSTORYTには多種多様な種族のKMNたちが暮らしていて、その表現形式も様々だ。イラストはもちろんのこと、SSや3Dモデル。さらには実写のポートレートに至るまで。種族の壁も次元の壁も超えて共通しているのは、「KMN×ストリート」というファッションスタイルだ。

コミュニティで実際に暮らしている人々から自然発生したムーブメントという意味でも。
そしてなにより、自らの所属する文化を表現するため、身体=アバターごとファッションとして自らを纏う新たな自己表現の手段としても。
ここから生まれてくるのはまぎれもなく、バーチャルとリアルを横断するストリートファッションであると言えよう。これまでに繰り返し述べてきた通り、「自分の好きなものや影響を受けたものを表明し、自らの在り方を形作る」という手法にこそ、ストリートの精神性が宿っているのだから。

KMNZ側の発信するブランド「KMNSUPPLY」と、KMNHZ側から返されたムーブメント「KMNHZSTORYT」
この双方向からのアプローチがあるからこそ、バーチャルとリアルの境界を越えるストリートファッションが生まれた。KMNZとKMNHZが、同じファッションを共有するひとつづきのの文化圏に、ともに存在することができるようになったのである。


二つの世界がひとつになるとき、何が起こるのか

ここまでをまとめよう。
【KMNZ×MUSIC】
影響を受けて来たものを音楽性に込めることで「KMNZらしさ」のスタイルを確立し、音楽を共通言語にして心を通わせる「文脈」を紡いだ。
【KMNZ×FASHION】
ロゴを通じて「価値」を発信することでアパレルブランドとして成立したKMNSUPPLYと、バーチャルとリアルがファッションを通じて共存する街KMNHZSTORYT。バーチャルとリアルが双方向から歩み寄ることで、同じ価値観を共有する地続きのストリートファッションが生まれた。

KMNZは音楽とファッションという二つの主軸を、ストリートという土壌に根差し、そこから伸び出た「KMNZの音楽」と「KMNZのファッション」で、バーチャルとリアルをつなぐ在り方を発信してきた。

そして音楽とファッションが交差するとき、そこには「文化」が生まれる。

文化は、人と人との関係性から生まれるものだ。企業のマーケティングやキャラ設定を一方的に並べ立てるだけでは、絶対に作り出せない。
KMNZが音楽やファッションを通じて投げかけたコールに、KMNREMIX、KMNHZSTORYTという形でこちらからもレスポンスを返した。バーチャルとリアル、双方向からのアプローチがあってはじめて「つながる」のである。
バーチャルとリアルをつなぐ新たなストリートカルチャーがこうして誕生した。KMNZはそこに内在している。そして、人と人の心のつながりが生み出すカルチャーは、疑う余地もなく現にここに、この通り実在している。


これが「KMNZはストリートに実在する」由縁である。



とはいえ。
正直なところ、ここまでの話、分かりにくかったのではないだろうか。
ストリートカルチャーというのは、コミュニティ内部で通じ合う文脈に息づく文化だ。ざっくり言うと「わかる人にはわかる」ものという側面をもつ。
そのためどうしても話が回りくどくハイコンテクストになってしまい、「わからない人にはわからない」ものになってしまいやすいのである。
ブランドの価値は「そのブランドに価値を感じる人」にしかわからないし、刺さる選曲も「その曲に何かしらの意味を見出す人」にしか伝わらない。価値観や文脈は自分で見出すからこそ実感を伴うのであって、言葉で説明されてもいまいちピンとこないものだ。

しかし幸いなことに、KMNZは言葉で説明するよりもはるかに確実で、誰にでも分かりやすい方法で、これを示してくれている。
一目でわかる新しい世界。「KMNZがいる街」という一目瞭然の明確なビジョン。音楽とファッションがいかにして交差するのかという、ひとつの解。

バーチャルとリアル、ふたつの世界がひとつになる時、何が起こるのか?
『実際にやってみた』



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Virtual Realityのネオン輝くどこかの路地裏、KMNZの二人が画面越しにこちらを覗き込んでいる。そして――

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そこに映し出されるのはリアル世界、それも渋谷センター街の街並みだ。KMNZパーカーを着た女の子が歩く街の風景に、KMNZロゴが重なる。
KMNZ VR、実写MVである。

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ポスターをジャックし、MC LIZ&MC LITAの参上。張り紙に、ビルの壁面に、広告塔に、街の風景の中にKMNZの姿が映し出される。東京の街の平面=二次元を、KMNZがhackする。

それに目を奪われた女の子がジュースを落とした瞬間、街がフリーズする。

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デジタルな東京にグリッチがかかる。少しずつ、境界が曖昧になっていく。

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ヘッドホンをかけ、歌を口ずさむ女の子。その様子を冒頭の路地裏のモニターが映し出すが、もうそこにはKMNZの二人はいない。何故なら――

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KMNZはすでにこちらに来ているから。

KMNZは人で溢れた街並みを、グラフィティとステッカーの埋め尽くす路地裏を、縦横無尽に駆け巡る。もはや二次元も三次元も、KMNZは自由自在に行き来する。

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それを追いかけるKMNZパーカーの女の子。背後ではビルが掻き消える。

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何が在って、何が無いのか。古臭い価値観ではもうエラーが出て意味をなさない。世界は急速に溶け合い、混ざり合っていく。

KMNZはファッションの中へ。手を挙げて挨拶を交わす動きがシンクロする《Hey yo, what's up !》

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LITAは”ROCK ROLL HALL OF FAME”(ロックの殿堂)、LIZは可愛い肉球マーク。それぞれの価値観を身にまとい歩いていく。

渋谷の歩道橋。ヘッドホンを耳にかけ、KMNZの歌を口ずさむ。

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君と僕とのストーリーが重なるとき、KMNZはすぐ傍にいる。すぐ後ろで、一緒に歌っている。


そして、KMNZパーカーの女の子はとうとうKMNZの二人に追いついた。境界面をそっと指先で触れると、波紋が広がり、KMNZの二人の姿が現れる。

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バーチャルとリアル、双方から手を伸ばす。あと1ビットで触れる、わずかな距離。しかし……

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その手に触れることは叶わない。




KMNHZたちは、KMNZと同じ世界に行きたいという思いで、KMNアバターとファッションを纏い、リアルからバーチャルへの移動を可能にした。

ならば、その逆ができないと、どうして言えるだろうか。

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KMNZは"ここ"に実在する。

かくして世界はVirtual Realityに到達した。

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by KMNZ

ストリートからランウェイへ

以上が、KMNZがストリートに実在する由縁であり、その証明である。
KMNZの生み出したカルチャーは、FictyもKMNHZも巻き込んで、大きな大きなムーブメントになっていった。そしてその中で、実際にこの世界の中でバーチャルとリアルの境界を越える実績を築いていった。
VtuberがメインMCを務める、史上初の地上波バラエティ番組「VIRTUAL BUZZ TALK!」がTOKYO MXで放送され
大阪城ホールで開催された音楽イベント「m-flo presents OTAQUEST LIVE」では、m-floのTaku Takahashi氏やEXILEのMANDY氏といったリアルのアーティストと共演を果たした。
REALITYでは、オーイシマサヨシ氏をメインMCに迎えた音楽番組「ぶいおん‼」のアシスタントを務め
ファッション/カルチャー/アート分野の VRコンテンツのアワード「NEWVIEW AWARDS 2019」には、音楽家やファッション企業と並んで新たに「KMNZ PRIZE」(KMNZ賞)が新設され、KMNZとのコラボレーション権利が賞の特典になった。

さらには音楽雑誌「Rolling Stone Japan」のバーチャルYouTuber特集に、KMNZのインタビューが掲載されるほどになった。

音楽とファッションの領域において、バーチャルの社会進出は着実に進んでいった。そのムーブメントの原動力として、KMNZは間違いなく大きな役割と実績を果たしてきた。

そして、その日は訪れた。

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VR時代の本格ファッション&ライブイベント、FAVRIC。
幕張メッセのランウェイをVtuberが歩く史上初、前代未聞のファッションイベント。KMNZはその第一報で出演者として発表された。


【FASHION × VIRTUAL × MUSIC = FAVRIC】

物理法則を超え、完全にプログラミングされたデータを自在に身に纏うことが可能になった。そんなVR時代ならではの新しいファッションの在り方を追求するFAVRICのコンセプトにおいて、「音楽とファッションでバーチャルとリアルをつなぐ」カルチャーを作りあげてきたKMNZとFictyはまさに適任だった。KMNZ、ストリートからランウェイへの躍進である。

そして、KMNZが纏った衣装は
【天候を纏う和装 Geometric rain Feat.KMNZ】

デザインを手掛けたのは、VR世界でのアパレルを描く「ケモノファブリック」で知られるモグモ氏。KMNZ x KEMONO FABRIC TOKYOのコラボレーションが実現した。"KMN FAVRIC"が現実のものとなったのである。

FAVRICのステージ、幕張メッセのランウェイでKMNZが見せたのは、まさにバーチャルならではの斬新で、自由で、そして未知のファッションだった。
これまでKMNZが発信してきた、ストリートに根差したもの、私たちにも見慣れたリアル寄りのファッションとはかけ離れたものだった。
これによって、バーチャルとリアルの距離は離れてしまったのだろうか。バーチャルとリアルは、異質なのだろうか。

私はそうは思わない。

KMNZは、リアルの先人たちが積み上げて来たカルチャーを、バーチャルという新しいスタイルでリブートしてきた。その中で、KMNZをきっかけにして今まで知らなかった文化に触れたという人も多いのではないだろうか。今まで聴かなかったジャンルの曲やストリートファッション、クラブカルチャーにKMNZを通じて触れ、その文化への好奇心を刺激されたという声を耳にすることも多い。


私たちはKMNZに、「こっちの世界」のいろんな面白いもの、楽しいことを改めて教えてもらった。今度は「そっちの世界」について知る番だろう。
そっちの世界、バーチャルの街ではどんな音楽が響いているのか、どんなファッションを纏っているのか。そっちの文化にも、きっと面白いものや楽しいことがたくさんあるはずだ。両方の良さに気づいたとき、世界はもっと鮮やかに広がっていく。

そして、二つの世界をミックスするとき、世界は再構築され、新たな街がそこには広がっている。現実は拡張され、見たこともない文化がそこには芽生える。未知の世界へ飛び立つ、文字通りのランウェイ(滑走路)が目の前にある。

すでに世界はVRに到達した。バーチャルとリアルが重なりあい、そのたびに新しいものが次々と生まれてくる。私たちはそんな時代に生きている。
そして、そのミックスされた世界を自由に行き来するための定期券を、私たちはすでに手にしているはずだ。


あとはその手を伸ばすだけである。


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