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代替療法  PART 2

                   



夫が会ってきた医師の治療を受けることに
私たちは決めました。

その頃娘は再発したことで、治療はスタートに戻りました。
ハイリスクからハイハイリスクになり
更にハードな治療スケジュールになりました。
抗がん剤の副作用で、白血球が少なくなり
次の治療までに白血球を正常値に戻すことは
これまで以上に困難になりました。

治療出来ない間は、自宅に外泊することが多くなり
その機会に、私たちは代替療法を受けるための
準備を始めました。

代替療法を受ける病院からの指示で
指定病院で採血をし、処方された薬を飲ませ
転院するタイミングを待っていました。

転院先は自宅から、かなり遠い場所でした。
この移動が、初めての家族旅行になりました。
自然に囲まれた場所に、その病院はありました。

そこで、娘は毎日のびのと過ごしました。
海へ行き
地域のお祭りに参加し
採れたての野菜や果物を食べ
痛い検査も、苦しい治療もありませんでした。

そんな毎日も3ヶ月が過ぎた頃
娘の様子に異変が起きました。
がん細胞が増殖し、食欲がなくなり
出血班が出始め
身体の痛みを感じ
ベッドで寝たきりになってしまいました。

再発が確認された為
私たちは代替療法を終わりにしました。

この治療によって
私は本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。
家族で過ごした4ヶ月はいい時間でした。
再発したことは残念でしたが
やれるだけやった、そんな気持ちでした。

ただ、病状が悪化した娘を
長距離の移動や飛行機に乗せて帰宅するには
かなりの困難がありました。

これは、後で知ったことですが
献血センターから運ばれる血液や血小板は
時間や保存環境によってその成分の効果に影響が
ありました。

残念ながら、自然に恵まれた
都市からから離れた場所にある病院に
何時間もかけて運搬された血小板は
娘の体に入れても
思ったように増えることはありませんでした。

このことが、代替療法で唯一
後悔したことでした。
急性リンパ性白血病は正常な血液が作れない病気なので
赤血球輸血、血小板輸血は生命に関わる
大切な治療です。
それが十分ではなかったことは想像することは出来ませんでした。

当時、小児の緩和ケアはありませんでしたし
代替治療を受けることを良しとはされず
標準治療をしている病院の医師に
相談することはタブーでした。

だから、こっそりと
夫婦で話し合い、限られた情報の中で考える
それしかありませんでした。
今にして思うと
孤独でしたし、何か悪いことをしているような感じさえありました。

どの治療をするにしても
話を聞いてくれる存在、安心して相談できる存在が欲しかった
あらゆる治療法の情報が欲しかった
自分たちが選んだ選択を自信を持って歩みたかった
そう思います。



最後まで読んでくださって、ありがとうございます。またの訪問をお待ちしています : )