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KIKIAU KOTONO ENERUGII #30

    骨髄移植での忘れられない一日



ドナーさんから頂いた骨髄を無事に移植した後
白血球が娘の体に定着するまでが
なんとも言えない緊張の連続でした。

娘は再発を繰り返し
長期間、抗がん剤を使っていた為
骨髄移植に耐えきれず、生きて退院できないかも知れない
と言われていたからです。

白血球がほぼゼロの状態になると
生きていくのが難しいことを
実際に娘を見て、その意味が分かりました。

骨髄移植前に投与される抗がん剤は
白血球を限りなくゼロに近づける目的で
使用されます。

それは、普段の治療とは比べ物にならない程の
強さでした。
そのため、粘膜という粘膜、皮膚は
副作用で機能できない状態にまで影響を受けます。

その状態はいつ感染しても、おかしくはない
極めて危険な状態です。
なので、無菌室という特殊な環境に入りました。

全ては想定内の出来事ですから
対応は万全です。
しかし、娘は日に日に感情を失いました。
泣くにも、痛みで声が出せず涙だけが流れる
次第に泣くことも体に負担がかかるのか
じっと我慢して静かに耐えている状態でした。

私はなんとか生きて退院して欲しい
その為に、私ができる事はないか
そう、考えていました。
生きる気力は、喜びから生まれると私は思っていました。

そこで、ある日私は事前に計画していたことを
決行したのです。
無菌室には私以外は、窓越しの面会ができる様になっていました。
畳一畳分もある大きな窓ガラスです。

苦痛に耐えている娘に
「ちょっとだけ見てごらん」と窓の方を見るよう
促しました。
そこには、大きな着ぐるみのうさぎが一匹
ぴょんぴょんと跳ねたり、踊ったりしていました。
娘は、その様子をしっかりと見据えていました。

「うさぎさんが、頑張ってって応援にきたよ」
「このお部屋を出たら、会いに行こうね」
そう言いました。
うさぎが手を振って帰ろうとした時
娘は小さく手を振りました。
微かに、娘の口元が笑ったように見えました。

娘が亡くなった後に
このことを思い出し両親と話すことがあります。
必ずと言っていいほど、みんな笑顔になります。
忘れられない、骨髄移植の思い出です。









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