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アイデアが先、仲間は後

30代で初めて転職したとき、知り合いの年配の経営者からエールを兼ねて「困った時には、きっと誰かが助けてくれる」という言葉をもらった。そんなものなのかなという思いと同時に、百戦錬磨の人の言葉だけに重みがあった。その後、それほど困難な状況に陥ることはなかったが、この言葉の存在にどれほど安心感を覚えたことか。

人に支えられているという安心感の価値は計り知れない。最近流行りの「心理的安全性」という言葉も、これに類した感覚だと思う。それは、実際に特定の誰かが頭に浮かんでこなくてもいい、「きっと誰か支えてくれる」と根拠なくても思えることが強みなのだ。

最近、会社勤めを辞めた知人は、起業しようかどうか迷っているという。仕事の実績も人脈もあるので、きっと彼が起業したら多くの人が協力を惜しまないに違いない。実際に「支援しますよ」と言ってくれる人もいると言う。なので迷うこともないのではないか。そんな疑問を口にすると意外な言葉が返ってきた。

「支援してくれる人がいるから起業しようかと思う自分がいるので、まだまだだと思う」と。

なるほど逆説的だけど本質的な考えだと思った。

何かを新しく始めようとする際、他者の協力ほど大きな存在はない。一人でできることは知れている。しかも、新しいことを始める際は孤独である。そもそもレールがない道を進もうとしているので、相談できる経験者もいなければ、同じ動きをしている同士もいない。先が見えない中で不安しかない。新しいことをやるとはそう言うことであり、先が見えていたら、誰かが始めている。先を見ても、周りも見ても誰もいない。そんな状態からスタートを切るのである。

こんな暗闇を歩き始める際に、応援してくれる人ほどありがたいことはない。でもそれは正しい順番ではない。「応援してくれる人がいるから新しいことを始める」。これだと、応援してくれる人がいることが、新しいことを始める条件になってしまう。

ある研究者が語ってくれた言葉を思い出した。「自分の考えを人に話して共感してもらうと却って不安になる」と言うのだ。

研究者とは、まさにゼロから「1」を作ろうとしている人である。過去に誰かが証明した問題を解いても研究ではない。だから過去の論文を読み、まだ誰も解いたことのない問いに挑むのが研究者で、その問いが解けるかどうかわからない未知に挑むのだ。そんな研究者が「共感してもらうと却って不安になる」と言うのだ。

不安になるのは、その自分の考えがありきたりで誰もが思いつくものかも知れないと思うからだそうだ。理解されることで半信半疑になってしまう。なので、人に話してみたときに、相手の反応が鈍いくらいがちょうどいいと言う。

この話を聞いて、逆の意味で思い出すことがある。自分の考えた企画を同僚に話してみて、その反応を見ることをしていた。そこで感触がよかったら、その企画に自信を持ちさらに企画内容を深める。

逆に、本当に自信のある企画は、人に話して反応を見ようとしない。確たるものが自分の中にあるので、好意的であろうと否定的であろうと、そもそも反応をほしいと思わない。自分の中でゴールのイメージがはっきり見えているので、その実現に向けて最短距離で進もうとするだけである。こんな状況の時は、応援してくれる他者の存在はありがたいが、それは不可欠に必要なものではなく、ありがたく頂戴させていただく類のものだ。

自分が思い浮かんだアイデアについて、人の反応を聞いてみたくなったら、その時点で要注意だ。「人に聞いてみる」というプロセスを入れたくなる時点で、自分のアイデアの足元がぐらついている証拠である。まだ腑に落ちていない。やろうと決めた人は、周囲の反応を気にしない。誰も賛同しなくても平気だし、フィードバックをもらう時間が惜しいので、すぐさま実行フェーズに突入する。

先の知人が「支援してくれる人がいるから」という理由で起業しないのがよくわかる。彼は自分が確信を持てるアイデアがまだないのであろう。足腰のしっかりしたアイデアと遭遇したら、彼はきっと起業するであろうし、その段階で誰かの支援が得られる可能性も高い。

順番は、アイデアが先で仲間は後。これが健全である。そして得てして、一人でもやり切ろうという人に、支援したくなる人が集まる。

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