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「どこでも誰とでも働ける」人とは、好きな場所で好きな人と好きな仕事ができる人

最近出版された尾原和啓さんの『どこでも誰とでも働ける』は、まさに尾原さんならではの本であった。尾原さんとは、マッキンゼー、リクルート、楽天、グーグルなど12社を渡り歩き、現在は藤原投資顧問に所属。とはいえ、この人を「○○の尾原さん」と認識している人はいない。どこの会社の人だからではなく、尾原さん本人にある価値を周囲の人がみんな知っているからだ。デジタル業界やスタートアップ界隈の人たちは、みなそう認識している。あらゆる人をつなげるコネクターであり、ネットワークのハブに位置する人なのである。

その尾原さんが書かれた本書の内容は、書名が語りつくしている。「どこでも」の意味はどんな会社ででもあり、どんな場所(地域、国)をも指す。実際に現在の尾原さんは、シンガポール、インドネシア、日本を中心に世界中をとび回る。カナダにいたかと思いきや、先週は東京、かと思えば家族のいるインドネシアのバリ島に戻っているという具合である。

「誰とでも」の意味は、「仲良く」より数倍奥深い。どんな人からも信頼を勝ち取ることができるのが最大の強みだ。尾原さんは本書でも「ギブ&テイク」ではなく、「ギブ、ギブ、ギブ・・・」と言う。自分のスキルや情報を惜しげもなくシェアすることから人間関係を作るのが尾原流。そこに見返りを求める打算は微塵もなく、ギブから人とのつながりが始まると信じているのであろう。新しい会社に入ったら、まず、誰もが必要と感じながらも誰もが手をつけていなかった仕事をする、という。これも尾原流。人が何を求めているかを察する嗅覚もこうした行動習慣の積み重ねで磨かれる。

本書のタイトル「どこでも誰とでも」を、僕は「好きな場所で好きな人と」と読み替えた。誰かに指示されるわけでもなく、自分の意思で選んだ場所と相手と一緒になって、社会に価値を出そうするのが、本書の主張する「仕事術」ではないか。そこには、仕事に対する圧倒的な当事者意識と、徹底的に成果にこだわるプロフェッショナリズムが伴う。つまり自立した個人の確立である。

自立した個人というと、ストイックな修行ややりたいことより「やるべきこと」を繰り返すプロセスを想像しがちだが、著者・尾原さんの主張はむしろ逆のように思える。自分の興味や関心に素直に従って、やりたいことを仕事の原動力にすることが、結果的に誰もが認めるプロフェッショナルとなり、当事者意識をもった個人が確立されるのではないか。

尾原さんは、学生時代に阪神・淡路大震災のボランティアを経験し、インターネットの力をまざまざと実感する。以来、インターネットの力を社会に広める仕事にずっと従事してきている。これこそ、まさに好きなことを仕事にしている人の姿であろう。

奇しくも本書の底本は、糸井重里さんの『インターネット的』である。この本では、インターネットがもたらす社会の特徴を、フラット、シェア、リンクという3つの言葉で表現している。1990年代に書かれた同書は、今日のインターネット社会の様相を予言したかのように書かれていて、いまなお読み継がれている。尾原さんが書かれた本書は、まさに『インターネット的』の「働き方」編ではないか。インターネット社会で、人はどうやって働くのか。その答えの一端は本書にあると思う。えてしてこういう本は、著者のようなキャリアと能力のある人だけができる「働き方」だと捉えられがちである。そう読まれるととても残念だ。むしろ、いまの社会で、まさに誰もがどこででも実践できるであろう「働き方」のひな形の一つとして読まれることを望みたい。

PS.本書の「あとがき」に編集者を紹介した人として僕の名前を出してもらっています。だからと言って本書を取り上げているのでなく、そもそもとても共感できる著者だったので編集者に紹介しました。

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