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日本人は料理に手間をかけ過ぎ?−―書評『食事作りに手間暇をかけないドイツ人、手料理神話にこだわり続ける日本人』

異文化に触れると、それまで考えもしなかった自国の常識を自問することがある。
本書『食事作りに手間暇をかけないドイツ人、手料理神話にこだわる日本人』(書名が長いw)は、まさにそんな著者の体験から生まれた本である。

ドイツ文学者の著者が初めてドイツを訪れたのは学生時代。語学研修と一般家庭でのホームステイを体験する、という1週間のプログラムに参加したのだ。迎えてくれるホストファミリーの家はインテリア雑誌に出てくるような美しさで、家族も総出で暖かく接してくれる。子供達もすぐに懐いてくれたようだ。しかし驚いたのは夕食だったという。大皿で出てきたのはサラダとパン、それに飲み物は水だった。歓迎されているとすっかり思い込んでいた著者は疑心暗鬼になる。「自分は厄介者なのか」と。それでも食事中、家族は親しげに話しかけてくれるし、夕食後も一緒にゲームをしたりと暖かい時間が流れる。
その日の夕食はたまたまだったのかと思いきや、1週間、同じような食事が続いた。

著者にとってこの原体験は印象的だったようだ。その後、研究者となりより深くドイツを知ることで、彼ら特有の食文化がわかり、同時に日本の自分が慣れ親しんだ食文化を問い直すようになった。

ドイツ人の典型的な夕食は、「カルテス・エッセン」と呼ばれるもので、サラダやハム、チーズ、それにパンなどだけで、暖かいものはなくすべて冷たい。火を通したものがない。おまけに冷蔵庫から取り出して切り分けるだけで、料理と呼べるかどうかというほど用意が簡単だ。

このような料理は、食材を買ってきて洗って切って火を通すという手間をかける日本人とは対照的である。日本人とドイツ人は、勤勉であるとか、モノづくりが得意であるとか共通点があげられることが多いが、こと夕食に関する考え方がここまで違うのが面白い。

しかもドイツといえば、料理器具大国である。鍋や包丁など世界的メーカーも多いし、先日テレビで見たが、ゆで卵剥き機やニンニク皮むき機など用途が限定されたツールも人気のようだ。これだけ料理器具が揃っているからと言って料理好きというわけでもなさそうで、むしろ、料理の手間をとことん減らしたいという欲求から料理器具が発達しているようだ。

著者は、このシンプルで素っ気ないドイツの夕食にショックを受けるのだが、やがてその合理性やドイツ人が大切にしていることを理解するようになる。

料理に手間を省くドイツ人だが、食の安全性への意識は高い。無農薬食材やオーガニック食品の認定機関も多く、それらを目安に食品を購入する人が多い。
また、彼らは夕食作りに手間をかけなくても夕食の時間を家族一緒に過ごすことはとても大切にしているようで、そこが家族の濃厚なコミュニケーションの時間となっている。

本書では各国の共働き世帯の生活時間データが紹介されている。共働き世帯のドイツ人は一日8.42時間働くが、日本人のそれは9.19時間。逆に睡眠時間は日本人が6.18時間で、ドイツ人が 6.86時間となっている。決定的に違うのは「夫婦の時間」(おそらく一緒に過ごす時間と思われる)の項目で、日本人が1.31時間なのに対しドイツ人は3.19時間と倍以上の時間を過ごしている。ドイツ人は夕食を簡素化しているからと言って家族の時間を大切にしていないわけではなく、むしろ料理の時間を短縮化することで、少しでも一緒に過ごす時間を増やそうとしているとも読み取れる。

著者は、必ずしもドイツ人の生活を見習おうと主張しているわけではない。むしろ日本に宿る「手料理神話」を問い直そうと提唱する。

本書では、日本人のお弁当作りに関する別の意識調査も紹介されている。それによると「弁当作りを通じて愛情を伝えたいか」という質問に「はい」と答えた人は61.1%だったという。ここに「手作りこそ母親の愛情の証」という潜在意識があり、「手作りしないことへの後ろめたさ」へとつながっているのではないかと推測している。
著者は言う。「家事、料理は家族が幸せに暮らすために行う営みです。しかし、料理を手作りすることにこだわり過ぎて心の余裕をなくしてしまうとしたら、それこそ本末転倒」と。その上で、
「すべてに手間をかけることが愛情ではなく、やらなくてもいいこと、できないことは思い切って『やらない』という選択をし、時間やゆとりを手に入れて家族や夫婦の時間、本当に大切なことにまわす。そうすることで、より豊かな生活が手に入るのではないでしょうか」と提唱する。

北海道より北に位置し、保存食が発達したドイツと海に囲まれ新鮮な食材に恵まれた日本では自ずと食文化が違ってくる。そして日本食に代表されるように、繊細で美しく、食べる前から豊かな気持ちになれる日本の食文化は世界に誇れるものである。この文化はむしろこれからも残したい。

見直すべきは「きちんとした食事を作らなければならない」神話ではないか。今や日本も共働き世帯が65%となっている。家事や料理の負担が、働く女性を苦しめストレスとなっているのであれば、新しい規範作りが必要である。

この新しい規範作りの鍵は、実は男性が担っているのではないか。

先の共働き調査の中には、他にも興味深いデータがある。「配偶者(パートナー)と家事を分担しているか」という質問に対し「はい」と答えた人は、ドイツが77%に対し日本は56%である。そしてそして、「家事は好きですか」という質問に対し「はい」と答えた人は、ドイツ、日本とも女性は58%なのに対して、男性を見るとドイツは68%(女性より高い!)だが、日本は46%とがくんと下がる。

家事や料理が「女性のやるべきもの」から「一緒にやるべきもの」へ。そして「好きなこと」へ変わることで、女性にとっても男性にとっても、そして家族にとっても結果的に毎日の生活がより豊かになるのではないだろうか。

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