家事と仕事はそんなに違わない

数週間前に思い立って、我が家の「夕食当番」を担当することにした。
僕は、世の男子の典型のような仕事人間で、雑誌の編集者の頃は、基本、平日は家で夕食を食べない。寝に帰るだけで家事はまかせっきりで、休日も月に一度程度、気分転換に「道楽」としての料理をしてみるくらいであった。料理の腕も素人で、レシピを見ずに作れる料理は、目玉焼きとペペロンチーノ程度。そんな僕が夕食当番をやり始めたのだが、想像以上の大変さと驚きと発見の連続である。

何がいちばん大変かと言えば、メニューを考えることだ。自分の腕でつくれる料理のレパートリーが限られるという問題も大きいが、日々の食事を決めるには、「食べたいもの」という単純な基準以外に、いろんな要素がある。

休日の道楽としての食事づくりの場合、冷蔵庫になにがあろうが関係ない。自分の作りたい料理にし必要な食材を買ってくるまでだ。予算も気にせず、レシピ本に書かれているものをすべて買い揃えて、完璧につくろうとする。つくる時間も道楽なので関係ない。以前、麻婆豆腐を作りたくなり、本格的なレシピ本を見たら、やたら珍しい調味料が書き並べてあり、それらをすべて買ってきたら、3000円以上かかってしまい、食べる前に家族から総スカンをくらった。そう、こういうのは遊びなのである。

日常の料理づくりは、まず冷蔵庫の中を確認する。買ってきた食材を無駄にしたくないという意識が自然と働く。それを見てメニューを考えるのだが、家族に「何が食べたい?」と聞いても、ロクな返事が期待できないのは、自分自身よくわかっている。ハレの日の食事ではなく、日々の食事なので、賢いお金の使い方をしたい。つくる時間も、効率的にしてできるだけ短い時間で終えるようにしたい。その上、高望みと言われそうだが、どうせなら食欲を満たすことをゴールにしたくない。少しでも楽しい夕食にしたいのだ。毎日同じようなメニューじゃつまらない。好きなものと言えば、お肉になってしまうのだが、毎日お肉だと流石に体に悪いだろう。できる技は限られているが、できない技にも挑戦したみたい。こんなさまざまなことで、頭を相当使う。いわば、無数の制約条件の中から、現実性とそれから実現したいものを加味して、何をつくるかを決めるのだ。

これを毎日繰り返していると、家事についての認識が驚くほど変わった。それはまず「日々の食事をつくる」という行為が、およそ仕事で求められる対人スキル以外のすべてのものが含まれている、ということである。

仕事で最も大切なことは意思決定である。経営者の投資判断はいうに及ばず、提携先を決めること、事業の拡大方向を決めること。もっと単純に言えば、費用対効果として何をするのがいいかを決めることである。しかも、目標は無数にある。売上げも伸ばしたいし、ブランド価値も上げたいし、組織も盤石にしたい。これら無数の目標の中から最適解を決めていく。これがまさに日々の食事づくりに求められていることと同じである。「美味しいものをつくる」という一点に絞れば、時間もコストも度外視できる。「食欲を満たせばいい」ということであれば、どっさり食材を買い込んで毎日同じ料理をつくればいい。しかし、一般的に、日常の家庭の食事はこうはいかない。コストや効率性、そして効果(楽しい食事)のトータルでの最大化を目指すのだ。

その上、料理は段取りがとても大事である。不慣れでパラレルワークが苦手な僕は、複数の料理を食事が始まる時間に同時に完成させる、というのは毎日四苦八苦している。炒め物ができたのに、ご飯が炊けていなかったという単純なミスも何度かしでかした。締切りから逆算して設計する、仕事の段取りそのままのスキルが要求される。

最後に成果のフィードバックが明確なのも仕事そのものである。食べて美味しいかどうかは、自分でわかる。「やってしまった」という出来栄えの時は食べていても辛い。家族は、出来栄えが悪いと、食事中の会話が料理以外のものになる(実にイタイ!)。意外とうまく作れると、自然と料理の話題になるから人間はわかりやすい。いわば目の前で、仕事の評価が下されるのである。

家事をしながら外でも仕事をしている人は常々、「凄い」と思っていたが、いまやそれは「物凄い」に変わりつつある。言い方を変えると、家事をやっている人は仕事の「できる人」になるのが当然のように思えてくる。

「仕事」というと、給与収入があるかないかで定義されがちだが、最近そこにとても疑問を感じている。今回、夕食づくりという家事の一部を担ってみて、いわゆる収入のある「仕事」に対する家事の地位が低すぎると痛感した。夕食づくりのみならず、家事には掃除や洗濯などもろもろある。毎日やるべきこと、週に一回、あるいは月に一回やるべきことなど複合されていて、複数のタイムスパンの異なる無数の作業をマネジメントしなければいけない。子育てについては、それはそれは重要かつ難易度も求められるものをとてもなく高いものである。

いわゆる「仕事」も家事も、生きていくために欠かせないことであり、そこになんら差はなく、家事が高度なスキルと意思決定、それに段取り設計を求められる以上、タスクとしてとても役割としても、いわゆる「仕事」とそんなに差をつけて論じるものだろうか。家事はGDPには換算されないが、世の中に「仕事>家事」という認識があるとすれば明らかにおかしい。僕もこれまで「外で働いているから」という錦の御旗で家事をしてこなかったが、なんとも世間知らずの傲慢さだったとやっと気がついた。

僕がおススメしたいのは、どれだけ仕事が忙しい人でも、どれだけ仕事が好きな人でも、一定期間、夕食づくりをしてみることである。短くて2週間。その間、冷蔵庫の食材を管理することで、家事が計画性と創造性が求められることであることが実感できる。そして、2週間経験してみると、確実に「家事」が家庭でどれほど重要か、そして家族の数だけ社会にある「家事」が社会的にどういう意味をもつかの認識が変わる。そしてそして、2週間、残業をしないで会食をしないで自宅で食事づくりを経験したら、会社での仕事の能力は、確実に一段階アップしていることに気づくはずである。

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岩佐 文夫

【頭の悪いレシピ】〜鬼のように料理の苦手なわたしのために〜

ごくふつうのまっとうなレシピを期待しないでください。病気やアレルギーやメンタルが落ち込んでたりで日々の料理が苦痛な人のための、毎日それなりのものを食べていくための、なにかコツのようなものを書いたものです。 ここに収めたレシピ等で、自分の書いたものは基本的に頭が悪いですが、他...

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