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「レンタルなんもしない人」さんの存在が、悩ましい問いを突きつける

きっかけはテレビだった。ニュース番組かワイドショーの一コマで、この本の著者「レンタルなんもしない人」に密着したコーナーを放送していた。「何もしない人」というレンタル業を始めたこの人、風貌や雰囲気がそれっぽい。どんな人がどんなレンタルの仕方をするのか?俄然、興味が湧いてネットで調べて著書があることを知りすぐに購入した。
『<レンタルなんもしない人>といいうサービスをはじめます。』という本である。

読んでみると、期待を大きく超える面白さだった。

すでに知っている人も多いだろうが、「レンタルなんもしない人」さん(以下「レンタルさん」)はこんな人だ。
レンタルさんは2018年6月にツイッターで以下の投稿をした。
「『レンタルなんもしない人』というサービスを始めます。1人で入りにくい店、ゲームの人数合わせ、花見の場所とりなど、ただ1人分の人間の存在だけが必要なシーンでご利用ください。国分寺駅からの交通費と飲食費だけ(かかれば)もらいます。ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます」

以来、約1年に渡り、交通費と飲食費しかもらわず、依頼者の要望に応じてきた。依頼の内容は「勉強をするのに怠けてしまうので、見守ってほしい」「人気ラーメン店に一人で並ぶのが抵抗があるので、同行してほしい」「東京から引っ越すので、駅のホームから見送ってほしい」などさまざまだ。1年で約1000件もの依頼があったと言う。それらを交通費と、飲食がかかった際の代金だけ受け取る形で引き受けている。

本書は易しい文章で書かれているが、とても哲学的な言葉も含まれている。それは以下のような5章立てからなるシンプルな目次からも垣間見れる。

1 なんもしない ―ミッションは、ただ一人分の存在を差し出すこと
2 個性を出さない ―自分らしくあろうとする必要はない
3 距離を縮めない ―それでも孤立させない
4 お金に縛られない ―人間関係はコスパで測れるか
5 AIに対抗しない ―有能であろうとしない

レンタルさんの元には、「話を聞いてほしい」という類の依頼が多い。しかしアドバイスを求められるものは断り、「簡単なうけごたえでいい」なら依頼を受けるそうだ。実際には、ただ聞いてもらえればいいという依頼がものすごく多いと言う。誰にも言えなかった自分の過去を誰かに言いたい。でもそれは決して親しい人でなくてもいい。むしろ親しい人じゃないほうがいい。こんな思いを持つ人は多く、レンタルさんの聞いた話の中には、「昔、人を殺した」とか「オウム真理教の元信者だった」などで、依頼者はそれらを隠しながら生きている。レンタルさんはこれらを依頼者の承諾をえて、依頼者が特定されない形でツィッターでも紹介している。依頼をあえて類型化すると「同行」「同席」「見守り」となるそうだ。

このような依頼を受ける中、レンタルさんは、付き合いの深さと話の深さは比例しないことに気づく。親しいから話せると言うものではない。レンタルさんは「『友達』でも『知り合い』でもない不思議な関係性には、固定的な人間関係につきものの面倒事がなく、しかし孤独感はそれなりに和らげてくれる」という効果を実感しているようだ。

レンタルさんの持ち味は個性がないこと。つまり、「他の誰でもいい」のだが、「誰でもいい誰か」に対する需要がこれだけ多いということはどういうことなんだろう。レンタルさんの活動の中心は東京という大都会である。人はいっぱいいる。「なのに」というべきか、「だから」というべきか、誰でもいい誰かに付き添ってもらいたい欲求が社会には溢れている。

レンタルさんの存在は、これまで社会にバラバラにしかもタンポポの綿毛が空を舞うように、儚くて気がつきにくいけど確かに存在していたものを、目に見えるものにしたのではないか。

人は人によって助けられ、励まされ、楽しさも苦しさも分かち合える。人にとって人の価値は計り知れないが、一方で、人が人のストレスにもなる。東京の満員電車では大勢の人に囲まれながら誰もがストレスを感じている。そんな社会で、限りなく無縁に近い知り合いという存在の価値をレンタルさんは顕在化させたのではないか。

こう書くと、レンタルさんはとても利他的な人というイメージになるが、それは本人も強く否定している。交通費と飲食代しかもらわないが、ボランティアと言われることに対しては強く、その誤解を解こうとする。事実、依頼を受けるか受けないかの境界線は実に曖昧。同じような依頼が続くとレンタルさんは「飽きた」ということで他の依頼を優先することもあるようだし、一度は、いてもしょうがないしいるのが苦痛になり、交通費を辞退して途中で帰ったこともあるという。ストレスにはとても敏感な人で、基本は自分が面白いと思えるからこのサービスを続けているようだ。

とても考えさせられたのは、2章「個性を出さない」である。僕自身も、会社員時代から、そしてフリーランスになって一層「自分ならではの価値」を意識するようになった。それは「他の人ではない、自分ならではのもの」は何かを追い求めることである。そこには「自分らしさ」を求めると言いながら、それを他人との違いという相対化されたものを求めている矛盾がある。本書では「『唯一無二の個性』と言われるように、人と比べることで成り立つ、集団のなかに身を置いて初めて生まれる」と書かれている。

もう、身につまされることばかりである。社会で「個性」という言葉は、主に、「何かをできる能力」を指しているのではないか。人に対し「スペック」という言葉を使うのがその典型かもしれない。人を「どんな能力があるか」で見る。「人は一人ひとり違う」と言っても、「人それぞれの能力は違う」という意味で使われていることが圧倒的に多いのではないか。
そして、社会や周囲に役立っているという実感によって自分の存在意義を確認する。人は社会に何がしらの貢献をしないと許されない、そんな空気が蔓延しているのではないか。結局は、能力と貢献で人を見る、その見方があまりに偏っている。

レンタルさんは「子供時代の個性と、大人のそれとでは、何が違うのだろう」と問いかける。

ダイバーシティを口にする際、僕らは、その前提になる「個性」の見方を根本的に変えないといけないのではないか。この本を読んで考えさせらたことはあまりにも多い。


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