フリーランスになって失ったもの

会社員を辞め、フリーランスになって仕事を始めてから1年が経った。

生活スタイルは一変。朝の満員電車に乗る機会はめっきり減り、夕食を家で食べる機会はめっぽう増えた。自分の時間を自分でコントロールできるようになったことが大きい。毎日が休日のようであり、一方で毎日が平日のような感覚もある。混んでいる場所が苦手なので、ジム通いや買い物は平日の昼間にすることが多くなり、逆に休日は空いているコワーキングスペースに長くいたりする。働く時間をフレキシブルに決められるようになったからだ。

自由の裏で失ったもの

つまり総じて自由になった。場所さえもテレワークも思いっきり活用し、昨年は半年、ベトナムとラオスに滞在した。働く場所も働く時間も自由。その分、自己管理の負担は当然あるが、それは想定通りであり、想定通りの試行錯誤をしながらだいぶ確立されつつある。

ここまでだと良いことずくめのようだが、失ったものもある。

まず感じるのは、同僚がいなくなったことである。仕事を一緒にする仲間という意味では、フリーランスとしても存在する。僕の場合、数社の会社と密に仕事をしているが、相手側の会社にはプロジェクトに一緒に取り組む「仲間」がいる。目的や目標を共有し、チームとなって、それらを達成するために知恵と労力を費やす、いわば同志である。

ただし、会社員時代の「同僚」とは感覚が違う。「同僚」とは必ずしも仕事を共にしない人も含まれる。大きな意味では、同じ船に乗る仲間であるが、会社の同僚とは必ずしも仕事を一緒にしていなくても、毎日会社に行けば挨拶を交わし、時には雑談したり一緒にランチに行ったりする。特に用がなくても毎日のように顔を合わせる仲間である。

フリーになるとそんな同僚がいなくなった。相手先の会社には頻繁に行くことがあるが、それらは全てミーティング時間に合わせての訪問であり、ミーティングが終われば帰る。「会う目的」がはっきりしているのだ。そこが同僚と違う。

会社員時代は、そんな同僚の存在を意識したことはなかったが、今ではとてもありがたかったと思う。つまらない雑談も、気持ちの切り替えや気分のスイッチを押す役割があったことにいまさらながら気づくようになった。もし会社員に戻るようなことがあったら(戻れないと思うが)、同僚との何気ない会話にもっと感謝するようになるだろう。

カリスマさえもフィードバックを求めた

そして失ったもので最も得難かったと実感しているのは、フィードバックをもらう機会である。

いま話題に映画「ボヘミアン・ラプソディ」に次のようなワンシーンがある。主人公のフレディ・マーキュリーは人気ロックバンド、クイーンのカリスマ・ボーカリストである。クイーンは人気が急上昇していくのだが、メンバー間のいざこざが増えてくる。嫌気をさしたフレディはメンバーに背を向けるかのようにソロ活動を始める。しかし思ったような音楽が作れない。なぜなら新しいメンバーは、フレディのやり方に全て「YES」と言うからだ。そこでフレディは、クイーンのメンバーに頭を下げて、もう一度一緒にバンド活動をやろうと呼びかける。「I need you」。フレディは、自分には率直に言い合える仲間が必要であることを訴える。

カリスマであり、独自の明確な世界観を持つフレディでさえも、フィードバックを求めていたのだ。フレディ・マーキュリーを引き合いに出すのはおこがましいが、チームはめんどくささと引き換えに貴重なフィードバックを与えてくれる。

フィードバックは、自分のした仕事に対しても反応と言い換えてもいい。僕の会社員としての最後の役割はビジネス雑誌の編集長だった。部員にとって編集長は上司になるので、部員からダイレクトにフィードバックをもらう機会は少なかったが、それでも彼らの表情や顔色を見ていると、自分の仕事がどう評価されているかが透けて見える。自分が担当する記事の良し悪しがわからなくなった際には、部員に読んでもらって感想を聞くこともできた。雑誌の出来は、編集部だけではなく、営業部門や広告部門からも、いろんな形で反応が返ってきた。さすがに「もっとこうすばよかった」とはっきり言う人は少ない。それでも、毎号感想を寄せてくれる社内の人から何の言葉も返ってこないと「あまり面白くなかったのか」と推測する。

これまでフィードバックを素直に聞けないこともあった。他部署の人から思ってもいない指摘をされて、「わかってない」とイラつくこともあった。しかしいまになってみると、貰い方もさまざまな多くのフィードバックから、次の仕事の糧を得ていたのだ。自分自身で反芻するきっかけ、そして気づかなかった可能性を知るきっかけ。すべては自分を広げてくれる機会である。

フィードバックは年齢とともに得られなくなる

フリーランスになったこととは別に、フィードバックを得られにくくなった事情がある。それは、年齢を重ねること、キャリアを積むことである。いまから思えば若い頃は、(正直に言うと嫌だったが)、周囲の人から口出しされることが多かった。挨拶の仕方や相づちの打ち方までダメ出しされたこともある。自衛隊に勤めていた年配の方から、人と接する基本的な心構えをアドバイスされたときは、耳が痛かったが貴重な言葉だった。

年齢を重ねるとこう言う機会が得られるなくなる。と、実際に自分がそうなってから気づく。「そうだ、もう社会は自分のことを出来上がった人間だと扱うんだ」と。問題ある行動も、修正すべき点として見られず、その人の動かしがたい「人となり」として認識される。

人が独立するとは、こういうことかもしれない。自律的に一人で行動する。そういう人に社会は、助言をするのではなく、黙って評価を下す。一人前に扱われる代償は、行動全てが評価さて、それを本人が気づく機会が限られているという状態である。

他者からのフィードバックを得られにくくなるとどうすれば良いか。
一つはより敏感になること。周囲の小さな一つ一つの反応に敏感になる。解像度を上げて自分の仕事のフィードバックになるヒントを得ることだ。

そして、もっと大事なことは自分の世界観に嘘をつかないことだろう。この場合、世界観とは、価値基準、美学と言い換えてもいい。自分が思う「いい」に嘘をつかず、自分の求めるクオリティの仕事をすることだ。他者評価ではなく自分の納得度を高い次元で超えていく。一つひとつを疎かにしない。つまりプロフェッショナルである自分に妥協しないことであろう。



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岩佐 文夫

一億総「社長」「復業」時代の働き方と経営術

アーティストもデザイナーも、科学者もエンジニアも、漫画家も著述家も音楽家も役者もゲーマーもアスリートも、そして子どももシニアも、目指せ「独立自存」。😃✨
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