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「ビジネスライク」という言葉が、肯定的に使われないことが意味すること

非難がましいわけでもなく、かといって褒め言葉ではない

「ビジネスライク」とは、とても微妙な表現である。
プライベートの場面で使われる場合、これはしばしば「冷たい」「そっけない」「融通が利かない」という意味合いで使われる。友達や知人の関係としてどこか物足りない、距離感のある関係しか築けない相手に使われがちである。

かといってビジネスで使われる場合も、決して褒め言葉ではなく、かなり微妙な言い回しになる。不満があるというほどでもない。なぜなら「やるべきことはやっている」人に対して使う表現だからである。かといって仕事相手として満足しているわけでもない。こちらが期待しすぎなのかもしれないが、「やることはやるけど、、、、」と容認できるものがありながら「、、、」がつく。何かが物足りないのだが、かといって「こうしてほしい」というのも野暮。文句をつけにくいが文句をいいたいような、そんな表現ではないだろうか。

「やるべきことはやっている」ので、文句のつけどころが見えにくいのだが、かといって「やるべきことができていない」人に対して、普通「ビジネスライクにやってほしい」とは言わない。仕事を覚えたての新入社員に「ビジネスライクでやるように!」とは決して言わないように、「やるべきこと」をやっているからと言っても、仕事では相手を満足させることができない。新入社員にはそんなビジネスパーソンになってもらいたくない。

逆に人にアドバイスをする際に「ビジネスライクで対応したら」という場合がある。これは面倒な顧客に悩まされていたり、気の合わない上司との関係に悩んでいたりする同僚などに使うことがある。あまり深入りせずに、事務的に、シンプルに仕事と割り切って対応することを勧めるのだ。自分自身も若い時に理不尽な仕事を振られて、「ビジネスライクにやろう!」とふて腐れながら仕事をしたことがある。そう、この言葉は、仕事を楽しんでいる際には決して出てこないのである。

決められたことはやっている。素っ気ないかもしれないけど、無駄を省いてやっている。なのに褒められずに使われる「ビジネスライク」というこの言葉。この使われ方を考えると、そこには仕事で人が求めていることの本質が見えるような気がする。

「ビジネスライク」なら機械がやればいい?

英語では「business like」という言い方はないそうだ。そもそも文法的にもおかしい。なのでこれは和製英語ということになる。
「ビジネスライク」の反対語はなんだろう。ネットで調べると「親身に」という言葉が出てきた。なるほど、誰でも親身になってくれる人は、自分の大切な人のひとりになる。こちらの10の要求に対して、20も30もやってくれるのが親身な人である。

仕事も同様だ。依頼された通りに必要最低限しかしない人に、それ以上の共感も思い入れもわかない。

仕事の目的は、限りあるリソースを活用して、出来るだけ大きな価値を出すことである。成果を出すこと、しかもリソースが有効に使うことが大事で、効率や生産性が求められる。なので「ビジネスライク」は無駄を省き生産性を高めた仕事の仕方ではあるのだが、それでも肯定的に捉えられない。仕事は本来、成果を出すことが目標であり、人と人の交流の場でもお互いの関係を深める場でもない。それでも我々は、仕事で「ビジネス」だけの付き合いではいまひとつ満足できないものなのかもしれない。

ここまで書いてきて気づいたのだが、仕事の中には「ビジネスライク」にやることが重要なものも多いのではないか。伝票の処理、数字の確認、議事録の作成などである。素っ気ないかもしれないが、無駄なく、効率的に仕上げることが何よりも大事。また、昨今の人手不足ではとりわけサービス業の現場では、素っけなく対応せざるを得ないことが多い。こういう現場に、「ビジネスライクは困りものだよね」という議論をして、現場の苦悩に輪をかけたくはない。

とはいえ総じて言えることは、ビジネスライクが求められる仕事は次々と機械に置き換わっているということである。決められた金額の入金には正確性が求められるのでATMが活躍し、自動販売機への信頼は、売り手がこちらの買いたい商品もお釣りの金額も決して間違えないからである。そう考えると、人工知能が今後ますます「ビジネスライク」を求める仕事を代替してくれるようになり、僕らの仕事はますます「ビジネスライク」が忌み嫌われるようになる。

仕事をビジネスライクにしても満足されない理由

ここで「ビジネスライク」が意味するのは、人は期待通りの仕事をしても評価されず、期待を超えた仕事に対して感動し、感謝するという事実である。

仕事からビジネスライクを引いたものに、仕事の価値の根源的なものがあるのだ。

10の仕事を10ではなく、12にそして20に100にする。成果を大きくすることで、生産性を高めることは可能で、圧倒的な成果を出せば生産性も飛躍的に高まる。気持ちのいい仕事とは、このような成果を超える意外性の連続である。予定通りやるべきことが進むだけでは物足りない。「ここまででいい」を超えて「どこまでできるか」のゲームの方がはるかにワクワクする。これこそ「ビジネスライク」とは無縁の世界である。

仕事への他者の期待だけでなく、自分の期待も同様である。仕事を楽しんでいる人から「ビジネスライク」という言葉は決して聞かれないだろう。言われなくても他人の期待を大きく超えた目標設定をしているし、他者目線の目標よりもはるかに高い「やり遂げたい」ものがある。こういう人がゼロから新しい事業をつくるのであろう。

もし仕事を楽しみたいという人で目の前の仕事をビジネスライクにやり過ごそうとしていたら、それはきっとその仕事に夢中になれていない状態である。自分とその仕事の間に、どこかフィットしないものがある。無理に夢中になる必要はなく、フィットしない違和感を内省してみるのがいい。

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