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ハノイで携帯電話を失くしたら、凄いものを見せてもらった。

携帯電話がないことに気がついたのは、家に着いてからだった。
この日は、ベトナムでお世話になった方がここを離れるということで一緒にランチをした。この方、Tさんはハノイで1年半ほど仕事をしていた20代の女性である。

Tさんのことはブログで知った。僕らが日本でハノイの情報を探している頃から、Tさんのブログをいつも読んでいた。こちらに来て初めてお会いすることができ、それ以来のお付き合いである。

そんなTさんとのハノイでの最後のランチは湖畔のレストラン。話しは尽きず、その後、我が家でお茶をしていたとき、まさに携帯電話がないことに気がついた。急いでレストランと移動で使ったグラブ(Grab:ウーバーのような配車サービス)に連絡するも見つからず。Tさんはベトナム人のお友達にメールで事情を説明して、他の問い合わせ先などを聞いてくれた。

僕は気が気ではなかった。ハノイでの生活に携帯は不可欠だし、買い直すとしたら余計な出費を余儀なくされる。でも、携帯電話の行方を気にしていたら楽しい時間は台無しである。日本でもそうだが、出てくるときは出てくるし、出てこないこともある。自分の不注意から始まったことなので、しょうがない。半分はそんな心境でもあり、せっかくなので心配事は忘れて、いま目の前の会話を楽しんでいた。

こちらが悠長な時間を過ごしている間、Tさんのベトナム人友達の間では、大騒ぎとなっていた。僕らが乗ったクルマを捜索すべく、多くのベトナム人にメールを送ってくれたのだ。「日本人の友達が(本当は友達の友達だが)携帯電話をなくしたって!」というニュースはSNSでベトナム人の間を駆け回っていたのだ。

Tさんの元には何度もベトナム人からメールや電話が入ってくる。「見つかったか?」「グラブから連絡来たか?」などなど、みんな仕事そっちのけで連絡してくれる。そして「警察にいち早く届けたほうがいい!」と。そうこうしているうちに、Tさんのお友達であるチュアンさんが「僕が警察に連れていってあげる。これから行こう!」と連絡が来た。それから30分後にバイクで現れたチュアンさん。後部座席に仕事帰りの奥さんを載せていたのだが、奥さんをカフェに置いて、僕らを警察署に連れて行ってくれた。

警察署で待っている間に、チュアンさんのフェイスブックを見せてもらった。そこには「日本人が携帯電話を失した」という文言とともに、僕が乗ったグラブのナンバーが表示された写真が投稿されていて、なんと200以上のコメントを寄せているではないか。内容はもちろん分からないが、あたかも指名手配された犯人の情報のように、この友達ネットワークのなかで大捜査網が敷かれていたのである。

普段、街で見かけるベトナム人は恐ろしいほど他人に無関心に見える。レストランではこちらが呼ばないと来てくれないし、道路を渡ろうとしていても自分には関係ないとばかりにスルーされる。そんなベトナム人が秘める心意気をはじめて見た思いだった。それは暑苦しいくらい親身になってくれる。警察に届け出ができ自宅に帰ったあともチュアンさんからは、何度も「大丈夫か?」「きっと戻ってくるのを祈っている」「僕はいつもヘルプするよ」とメールが来る。さっき会ったばかりのほぼ他人なのに。

人に無関心に見えるベトナム人のこの心意気は何なんだ?Tさんに聞いてみたが、彼女も「ベトナム人は基本的に他人に関心がない」と言う。その上で「でも家族や友達をとても大事にするんです」と。

どうやらTさんは1年半で多くのベトナム人と、本当の意味での友達となっていたようでだ。それはTさんのブログを読んでいても伺い知れる。地元のものを臆せず食べ、知り合ったベトナム人の故郷にまで一緒にでかける。ハノイの面白いところをいつも探そうとする。そして知れば知るほどTさんはベトナムを好きになったのだろう。そして、そんなTさんはベトナム人からも友達として愛された。こんな「Tさんの友達が携帯を失くしたって、それは大変なことだ!!」と、大規模な草の根捜索活動を展開してくれたのではないか。

結局、携帯電話は出てこなかった。その代償も小さくない。そして自分の不注意で多くの人を巻き込んでしまった立場で不謹慎だが、なんだか凄いものを見せてもらった気がする。携帯電話がベトナム人にとってもいかに大事なものかも痛感した。それ以上に、ベトナムを知ろうとしてベトナム人から愛されていたTさん、そして、友達のために親身になって自分たちの時間を費やすベトナム人の心意気。相手を知ろうとすること、知り合うことで、人と人との関係性はこんなに変わるんだ、と。

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