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お前は何者なのか@自己紹介~2~

皆様、こんにちは。
キイチロウです。

さて早速ですが頼まれてもいない自己紹介パート2に進んで参りたいと思います。
これまでの内容については「自己紹介〜1〜」に綴ってみましたのでよろしければ是非読んでみて下さい。

続きは専門学校からのスタートです。

1996年春 自由気ままな学生生活は・・・

この頃は、もうバブルもとっくに弾けたどんよりとした世の中、だった記憶がありますがどちらにせよまだ学生身分だったのでバブルの恩恵は全く受けられない環境でした。
そんな中スタートしたいわゆる「自由気ままな一人暮らし」は実は終始地味な生活でした。
 小心者という性格もあって「コンパな毎日!」にイメージされるような、今で言う「パリピ」な学生生活はマジで無く、本人は先のパート1でもお伝えしたように「絶対に航空業界に入ってまずは完全自立果たす!」を目標に、この2年の時間を過ごすぞという決意があったのは間違いないです。

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嗚呼、卒業の日

とはいうもののどうしても車だけは欲しかったというもう一つの強い意志が私を支配していたものですから、高校の時のバイトで貯めたわずかの貯金と祖母からの資金援助を頂いて当時はまだ珍しい「PEUGEOT(プジョー)」の中古を買うという暴挙に出ました。まぁまぁのクズっぷりですね。

話は少し脱線しますが、当時同級生では「トヨタ スターレットターボ(通称スタタボ)」の中古車の価格が手頃で「よく走る車の入門車」として人気があった(実際に持っていた友人は多かった印象)時代で、排気量1.3Lでも軽さを活かしたターボのパワーですこぶる速かった記憶があります。

そこに来て私はプジョー309GTIの5速MTは排気量が1.9Lノンターボ。
この時からすでに「同じ土俵では戦わない」という意識が定着しており厄介な男でありました(キモイ!)。
 当時はもう車種どころか生産国が違って「どこの車?何それ?なんで?」と言われる始末。
 こんな車であれば比較検討される事も無いし(パワーとか速さとか)こっちは訳わからんフランス車なのでスペックどころか「なぜそれを?」という感想を抱かせて相手を無力化する作戦です。
私は一体何と闘っていたのでしょうか?(^ ^)

こうして(?)たった2年でしたが精一杯勉学に励み、一人暮らしの苦労も経験し、当然資金的にも迷惑をかけまくった両親・家族にも一矢報いるため、やれる事は全てやって、幸運と偶然が手伝って、翌年「三菱重工業株式会社」に入社できることが決まりました。
 ご存じない方も多いのですが、この「三菱重工」は意外と入社が難しいです(笑)
当時1997年ごろは就職超氷河期で、当時顧問の先生から聞いた記憶ですが、これまでコネクション(OB!)も大いに利用したこの航空専門学校からは三菱重工に毎年約20人〜30人の入社実績があったようですが、私の年は過去最低の12人(うち1名不合格)という結果で狭き門でした。
 恐らく私はギリギリのボーダーラインを背面飛行してクリアするアクロバティックをかました訳です(いわゆるまぐれ)。

1998年4月 三菱重工業で何をさせてもらえるのか?

 ラッキーにも程があると言われながらも奇跡的に三菱重工に入社できたアタシは「勘違い野郎にだけはなるな!」と自分に言い聞かせ、常にこの事を心に留めながら入社を迎えます。
戦闘機が作れる!と期待を胸に毎日がドキドキだった新入社員時代が始まります。

 何をドキドキしてたかって?そうこの会社は意外と大きいので、配属先で仕事内容が全く世界が変わってしまうことが起こり得たのです。この会社はここからが恐怖と言うことを入社1週間目にして気づくのでした。

ざっくり説明すると私の入社した事業所では大きく3事業所が存在しており、同じ航空製造業界の中でも大きく内容の異なる仕事につく可能性があったのです。

●マテリアル製造部門(いわゆる製造業イメージ通りの金属物・部品製造部門)
●艤装組み立て部門(部品を集めてある程度の大きさまで組立てする部門)
●最終組立・試験・完成部門(文字通り最終工程でモノが完成形になる部門)

 正直なところ、私はこれまで三番目の「最終組立て部門」に入るためだけに専門学校まで出てここまで来たと言う想いが本当に強かったです。
今だから言っちゃいますがまさか、この後に及んで「マテリアル製造」「艤装」なんて部署に配属された日にはもう速攻で辞めてやると、本気で考えていました。
今思えば「何もできない新人が何をほざいてやがんだ」と思いますけど若かったです・・・。

 例えて言うなら、パテシエになるための学校を出てきたのに製品管理部門に配属されるとか、下手したらケーキを焼くオーブン製造部門配属なんてことも十分あり得たと言うことです。
他の仕事も当然重要で大切な仕事であることは十分に理解しておりましたが、個人的にはこのような業種に就職する人間の中にもやっぱり強い想いを持って入る人間とそうでない人間は必ずいるので、その区別は必要だぞ!と思っていました。

「三菱に入りさいすればオールおっけい、楽な仕事がいいな」なんて思っている輩なんていっぱい見て来ましたから、自分は奴らとは違うんだと言う自負は強かったんです。

さてさて配属はどこになったのでしょうか!?(^ ^)

ハイ、ミサイル製造部門でした!

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翔べ、あの空の向こうへ!(謎)

なんと飛行機でもなかったんです(笑)
こうなると流石の私もちょっと想定外です(笑)
正式には「誘導推進システム」の中の「飛翔体製造」になります。

ミサイルのことを飛翔体と言うんですね。勉強になりました。
本音はやっぱり聞いた瞬間、愕然として頭が真っ白になったことは言うまでもないですが、「ミサイルかぁ、響きが面白いな」と言う直感に従って(?)この道を極めてやろうと切り替えました。ええ、極道です。

さて勘の良い方であればお気づきでしょうが、これらのお仕事はかなり特殊な分野で、難しい言葉で言うと「特定秘密」に該当する職務となります。
 (特定秘密がどう言う内容なのかはwikiなどでご確認下さい)

 当然ですがこの先の仕事の内容については機密漏洩に当たる可能性があり守秘義務を遵守することが法律で定められておりますのでここには書けませんしお話しすることも難しいです。う〜ん残念!(マジで駄目なんです)

と言うことでここから10年と言いたいところですが、正確には9年と10ヶ月間の間、防衛省(当時は防衛庁)とのお仕事を中心に携わりました。
 ここで出会った先輩方や客先である防衛省監督官殿の中には私の人生に大きく影響を与えて頂いた方々が多く、今でも初心忘るるべからずとして心に存在しております。

 大袈裟なく、皆さまのご想像を超える普通のサラリーマンでは絶対に一生味わえないすごい経験をさせて頂きました(米軍施設の中にも入ったり❤)。
 改めて想うと、退社するその日まで特殊な業務環境の中で私をサポートして頂いた上司、同僚(ほぼ先輩)には感謝しかないんですよね。辛い環境の時期もありましたが、総じて人生観を変えるほどの良い職場の中で精いっぱい仕事をさせて頂けたと言う印象です。
 話せる内容も幾つかあるので、それはまたいずれ(当然守秘義務には抵触しない内容ですよ)。

2007年1月 ついに事業者へ

そしていよいよ現職である不動産会社に籍を移すことになります。
理由は簡単で、母方の実家が経営していた不動産業(とはいえ家主業)を事業継承したと言うもの。いきなり社長です。

 そう聞くと「なんだよ、そもそもボンボンか!」とそう思ったアナタ!
とんでもない間違いです!
まずボンボンの定義をちゃんと確認してくださいね!

ここをよく一緒にされて凄ぇムカついてしまう私がおりますが、イメージと現実は違うんです!
 ほら、芸能人はみんな金持ちと思われがちですが、そうでもない人も意外と多いと言うのと一緒です(何が?)

 不動産屋と聞くとみんな揃って「儲かってしょうがないね、どうせ土地転がして悪いことしてるんでしょ?」と一体何十年前の話で止まっているんでしょうか?
 こんな皮肉を何度言われた事か・・・(涙)

どんな業界にも儲ってない人はいますし、上手くいっていない会社もいっぱいあるんです(笑)

事業継承と言う形になりましたが、時はリーマンショック直後、もうご想像の通りの有り様で、いやはやこんな状況で引導渡されてもな、と30歳のオッサンは途方に暮れたのでした。

ここからはもうやるしか無いの一択なので、泥臭く、スーツを着て不動産会社(仲介業者さま)の挨拶まわりからコストの見直し、どうすれば改善されるのかを見様見真似、不動産投資本だの怪しいセミナーだのに恥を忍んで参加して、さまざまな角度から学び吸収するしかなかったんですね。

#何せまともな引き継ぎなどない
 まさに0からのスタートでした。

#普通前任者 (前代表やら役員やら)から引き継ぎってありますよね?

そんなこんなで現在に至ります。
代表を代わって早12年が経過してしまいましたが、この仕事も本当に奥が深く、また規模も大きく繊細で様々な価値観とぶつかり合って、経営という本当に難しい仕事にも少しずつですが慣れて自分の進む道を模索する毎日です。

でも最近、ふと想うことがありました。
それはここ数年、興味とご縁あって東南アジア(ASEAN諸国)を訪れた経験が大きく影響して、自分の思想の根底から見つめ直すトリガーを引いてしまったようなんです。

自分が何のために存在するのか、どこに向かっているのか、何ができるのか。

こと仕事に関しては企業理念やポリシーをしっかり考えて生きてきたつもりでしたが、個人的な人生論も含めて、改めてこの今を生きる中で(住まいを提供する仕事をする立場も影響してか)、幸せとは何なのかという漠然とした自分への問いを繰り返すようになっていました。

 これはお金(持ち)云々だけではない価値観、本来の自分の姿ってなんだろうというような概念であり、哲学的な部分もあり、なかなか表現が難しい所ですが、一念発起してこのnoteや新しい活動を始めたきっかけにもなりました。

 だんだん整理ができてきて、自分の向かうべき方向を再設定し直しているような感じです。何だかモヤっとした表現で恐縮ですが、語彙力が低いため今後もその辺はご理解くださいませ(笑)。

てな訳で、第2回、私は誰なんだの回、これにて終了。(そんな回でした?)

長々とだらだらと頭に思いつくままに書いてしまっているこの記事を読んでくださり本当に感謝です。

些細なことでも結構ですのでご感想や反応いただけるとやる気になってしまいます。
今後ともどうかご贔屓に。

キイチロウ

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