まーれらい

昭和ひと桁生まれの祖父母と関東のはずれで暮らす平成ひと桁うまれ。 ひとり旅とカメラが大…

まーれらい

昭和ひと桁生まれの祖父母と関東のはずれで暮らす平成ひと桁うまれ。 ひとり旅とカメラが大好き。 毎日朝に投稿していきます(予定)

マガジン

最近の記事

毎朝使っている定期入れも今年で10年め。

今使っている定期入れは、私が高校生の頃、父方の祖父母がフィレンツェに旅行に行った時、お土産で買ってきてくれたFURLAのものだ。 プラム色の落ち着いた色だけれど、高校生の頃もらった時の第一印象は正直、「わぁ…地味な色」だった。 父方祖父母夫婦は祖父が元気だった頃までは、毎年のように海外に1ヶ月ちょっと旅行に出かけては、よく孫の私や弟にお土産を買ってきてくれた。ただ、当時小学生の頃の私たちには、ちょっとよくわからないセンスのものが多かった気がする。 その時も、本当はもっとポッ

    • お気に入りのコスメポーチ

      今私が使っている化粧ポーチは、もう使い始めて4年くらいたつ。 ARTISAN&ARTISTという、主にカメラバッグやカメラアクセサリを作っているブランドのものだ。 学生時代、アルバイトをしていたカルチャスクールで仲の良かった社員さんが、私がやめるときにくださったものだ。 「私はカメラについては詳しくないんだけれど、調べたらこのブランドはカメラバッグのメーカだそうなので、ここのものを選んでみました、良かったら使ってね」 そんなメッセージが添えてあった。 カメラバッグのために

      • 1000文字くらいの記事が読みやすい。

        個人的観測である。もう少しミニマムにまとまった記事も、要点がまとまっていて素晴らしい。 小学生のころ、小説家を志していた頃は長ければ長いほど良い、という思想が私の中にあった。 長く書くほど、作文用紙(あれ、今の小学生はまだ使っているのかな)を消費すればするほど先生が褒めてくれた。みんながすごいとってくれた。 それがもしかしたら違うかもしれない、と思い始めたのは、いつだったか思い出せないが、理由は覚えている。自分の言いたいことがうまく表現できてなかった時だ。その時、長ければ長い

        • すごい人ほど、謙虚で、素直だ。

          会社の同期に、一つ年下の男の子がいる。勉強家で、周りの人も彼を「できる人」「頼れる」だと思っている。けれど、一方で「偉そうだ」と快く思っていない人もいる。 どうも彼は、自分を自分で蔑む、要は「いや、俺なんて底辺だから」とか「できないやつだから」という割に、「これはこうするべきだ」「この技術はこうでこうで」と自分の意見で周りを引っ張りたがる。どうも、「自分を下げる」ことと「知識をひけらかす」ことが自分の価値やプライドを維持できると思ってやっているようなのだ。 自分を下げる割に

        毎朝使っている定期入れも今年で10年め。

        マガジン

        • 朝ぼらけの雲
          10本
        • 雑記帳
          30本
        • 祖母と私のつれづれぐさ
          10本

        記事

          自分ができるようになっていることを、素直に振り返ってあげてみる。

          パッと思いつくのは、料理、特にお弁当のおかず、だろうか。 私が仕事にお弁当を持って行くようになったのは、確か新社会人になってひと段落した6月くらい、だったろうか。 最初はカルディで買ったパスタとかトマトソースなんかをタッパーや保温ボトルに詰めて持って行くスタイルのシンプル(といえば聞こえはいいが、要はやっつけ)スタイルだった。 それが、一年目の秋頃上司が女性に代わり、その慈母のような彼女に決して見栄えのよろしくないものを見られそうになった時、例えようのない羞恥心を覚え、おか

          自分ができるようになっていることを、素直に振り返ってあげてみる。

          黄色はこどもの色と思っていたのに。

          母曰く、幼い頃から私は黄色いものに対する執着心がもの凄かったらしく、黄色いものを見れば「まーちゃんのぉ、きいろ!」と謎のポーズを決めていたらしい(記憶にはない)。 これははっきり覚えているが、私がこどもの頃、女の子の子供服といえばピンク、あるいは水色だった。黄色い服や黄色い雑貨なんて滅多になかった。例えば、雑貨のカラーバリエーションが4色展開だったとして、その中に黄色が入っていることなんてまず殆どありえなかった。 事実、私の母親はきいろきいろとねだる私のために買い物に出かけ

          黄色はこどもの色と思っていたのに。

          イスタンブールの路地裏

          今朝何気なく巻いてきたストールについて。 これを買ったのはもう3年も前、2月のイスタンブールだった。 ちょうどその年の4月、新市街あたりでテロがあった頃だろうか。今はだいぶ落ち着いたんだろうが、当時はなんとなくきな臭いイメージが、日本の中にはあったんじゃないかと思う。 これを買ったのは「何かトルコらしいものを一つは買って帰りたい」という願望から。 ストールがいい、と思ったのは、そう今思い出したのだが、サークルの先輩がヨルダンだったかシリアだったかで買ってきたという緋色のストー

          イスタンブールの路地裏

          朝型の人たちは面構えが違う。

          タリーズの話である。おそらくほとんどの店員さんは学生のアルバイトさんか、旦那様のいる女性のパートさんなんだろうと勝手に想像する。少なくとも私より明らかに年上そうな男性は、いない。 タリーズは7時から22時まで営業で、ほぼ間違いなくシフト制で回しているだろう。 私は毎日通っているので、朝いる店員さんの顔もだいたい覚えてしまった。みなさん愛想もよければ手際もいい。よくあの朝の時間帯のオーダーを捌けるな、と思う。それに全然人にぶつからない。本当に見習いたい。 タリーズのコーヒーを

          朝型の人たちは面構えが違う。

          コーヒーの味の違いが、わかるようになってきた。

          出勤前に毎朝タリーズに入り浸って読書をしたり、ちょっとした作業や勉強をしたりする。 タリーズのコーヒーは、正確には「本日のコーヒー」と言って、毎日違うブレンドで出してくれる。 コーヒーを初めてブラックで飲んだのは、確か高校生の頃だったろうか。あの頃はただの眠気覚ましとして無理をして飲んでいた。そのコーヒーも、小分けされたタイプのペーパドリッパで、そこまでいいものではなかった。 日常的に飲み出したのは就職してからだったと思う。 だけれど、自発的に飲みたくて飲む、というよりは、「

          コーヒーの味の違いが、わかるようになってきた。

          つんどく負債

          いろんなことに、あちこち興味が行ってしまうたちです。 好きなことは山ほどあって、興味のあることはつきません。 あれもいいな、これもやってみたい。考えている時は本当に楽しい。 なのに、いざ読みたいと思って買った本が届いても、疲れと家事を言い訳にして、積読にしてしまうことのなんと多いこと。 今年こそは、そんな積読負債を返済して自己の黒字運営をするんだ。 そう思いながら二月の終わりの日、また新たな本をポチってしまった私でした。

          つんどく負債

          やさしい時間

          おはようございます。 転職をしてから、すっかりnoteから遠ざかってしまってました。たまに過去の記事にスキをくださる方がいて、くすぐったい気持ちでした。 現在は、出勤する前の一時間半ほど、オフィス近くのタリーズコーヒーで勉強をしたり読書をしたり、ぼんやりしたりするのが日課です。 今の仕事は自身のナレッジを高めることがなんだかんだ必要な業界です。 休日全てを自習に当てられたらこの上ないのですが なにせ週末はやはりなんだかんだで家のことをしなくてはならないので、 一人になろうと

          やさしい時間

          自分とのお付き合い

          私は、頭の処理領域が小さいというか、人より少ないタスク量で頭がパンクしてしまい、どうしていいのかわからなくなってしまう性分です。 人から見たら、そんなことで?と思うような量でもあっぷあっぷになって、何から手をつけていいかわからなくなってしまう。胸が苦しくなって頭も痛くなって、動けなくなります。動かないとタスクは当然減りませんのでリミットはどんどん迫ってくる。催促がくる。自己嫌悪になる。叫んで泣きたくなるような、そんな衝動に駆られることもあります。 最近、とある本に出逢いまして

          自分とのお付き合い

          鏡に映った自分

          働き始めるまでいよいよあと一週間を切りました。 今度の職場は私服だから着回しを考えなきゃと、服のことは気にしていましたし気にされていたのですが、今日ふととんでもないことに気づいてしまったのです。 私、ファンデーション持ってない。 ファンデ処女という意味ではなく(20代も曲がり角でもしそうだったら今頃バブル絶頂期をボディコンで謳歌した伯母に抹殺されていることでしょう)、使い切ったまま買い足すこともなく、気づいたら2シーズンほどすぎていた…という状況です。あぁ、伯母どころかそ

          鏡に映った自分

          思考の海を泳ぐ魚

          情報は死んでいる、とは養老孟司さんの言葉だそうで、森博嗣さんのエッセイで知りました。 確かに、自分の考えなり妄想なり、あらゆる発想は、自分の内から外に出したその瞬間から鮮やかさを失うような気がします。 一昨日と三日前のnoteは、実はそれより前に書きためていたものをそのままアップロードしました。というのも、このところnoteの「〇〇日連続の投稿!なんと!」みたいなポップアップを見るのが楽しみ(完全に運営の術中にハマっていますね)なのですが、週末は友人と行動を共にしていたため

          思考の海を泳ぐ魚

          お笑いライブ

          私は、昔からお笑いというのにあまり興味がないタイプです。 お笑いはくだらないから見ない!とか、そういうのではなく、コントや漫才を、わざわざ劇場に足を運んでまでは見ませんし、コント番組も好んで視聴しません。(あぁ、でも『エンタの神様』は毎週弟と見ていたような記憶があります。犬井ヒロシ大好きでした。そもそもコンテンツがなくなったのかもしれませんね。) そんなどちらかというと厭世的(??)な私ですが、昨日初めてお笑いライブというものに行ってきました。それも、那覇で。 この週末は

          お笑いライブ

          サマルカンドであいましょう 3

          サマルカンドは、二週間の中央アジア旅行最後の目的地でした。 (あぁ、もう旅も終わるなぁ) 木曜の朝、宿に泊まっていた日本の人達に誘われて、朝食を6人で固まってとりました。男性たちは自分の世界一周やユーラシア大陸横断の話をしていて、それを女性たちが興味深そうに聞いています。 (そういえば、エドワードくるのかな、) タシケントで出会ったオーストラリア人を思い出しました。 でも、私は次の日の8時の飛行機でタシケントに戻ることになってました。 そのまま、夜の便で日本にたつ旅程です。

          サマルカンドであいましょう 3