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1000文字くらいの記事が読みやすい。

個人的観測である。もう少しミニマムにまとまった記事も、要点がまとまっていて素晴らしい。
小学生のころ、小説家を志していた頃は長ければ長いほど良い、という思想が私の中にあった。
長く書くほど、作文用紙(あれ、今の小学生はまだ使っているのかな)を消費すればするほど先生が褒めてくれた。みんながすごいとってくれた。
それがもしかしたら違うかもしれない、と思い始めたのは、いつだったか思い出せないが、理由は覚えている。自分の言いたいことがうまく表現できてなかった時だ。その時、長ければ長いほどいい、ことのディティールまで細かく説明することは必ずしもいいことではない、むしろ何か意見を交わす時には邪魔だ、ということに気づいた。仕事に限った話ではない。

「まーちゃんはさ、自分が結局何を言いたいか考えてから喋りなよ」

大学1年生のころ、4年生の先輩がいきなりそれだけいってきたのは強烈だった。ドキッとした。楽しい雰囲気の飲み会でおもむろに言われたから、余計に。
確かに、その頃私は見切り発車で喋り出すことが多かった。こんな面白いことがあった、それを話したいという気持ちだけで。

その頃から、すぐに話したいのをちょっとこらえて、「結局、一番言いたいこと、オチは何か」を考えて、逆算して話すようになった。これは仕事の電話だとかなり重要なスキルであることを、働くようになってから気づくことになる。

仕事でお客様とのやりとりというのは必ず発生するものだと思うが、それを経緯を知らない別の人と共有しなければならない時、この「結局何が伝えたいことなのか」を考えるのは非常に重要だ。
よく、「これこれこういうことがあって、相手がこういって、自分はそれでこうして」とことの経緯全てを話す人は結構いる。また反対に、その辺の経緯の説明をすっ飛ばしていきなり相手に要求だけする人もいる。自分の立場だけで発言している何よりの証明だろう。大概、相手は「ちょっと何を言いたいのか、よくわからない」と言っているのを、よく見かける。

ネット社会になって情報が氾濫していると嘯く古参のテレビコメンテータみたいな人の声をたまに耳にするが、オフラインの日常でも情報の取捨選択をする心がけは、結構重要だと思う。

私がよくやるのは、先ほどの「オチ」を考えるのと、「それに至るのに必要な要素はなにか」を逆算して挙げる。そうすると、大分シンプルにまとまる。ちなみにこれは、メールでも応用が効く。

さて、そろそろ1000文字を超えたので、この辺で収めたいと思う。今日も私のお相手は、タリーズコーヒーでした。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!