すきなものを、堂々と好きと言える時代。

「うわお前、ポルノなんて聴いてんの。ババアだな、ババア」
この言葉を私に吐き捨てるようにいったのは私の父だ。
今から10年ほど前、この時の私は14歳。
当時の世間といえば、誰も彼も着うたをYUIの『C.H.E.R.R.Y』にしていた頃だ。流行りの曲を聞かず、90年代にリリースされた『サボテン』なんかを部屋でかけているなんて、時代遅れも甚だしい、といったところだったのだろうか。

流行りの先端にいるのがかっこよかった世代

父はきっと、世の中の潮流に乗ることが何よりの美徳だと信じていたのだ。或いは今も。
流行りの曲を聞いて流行りの場所に行って、流行りのものを手に入れる。5年はおろか2,3年前の代物なんてもうガラクタ。大量に消費して大量に棄てる。使い捨て文化のマインドだ。
80年、90年代ごろまではよかったかもしれない。テレビやラジオなど、マスな情報のチャネルは限られていただろう。それらが作り出した流れに、我先に乗っかるのがかっこよく、また楽しかった時代なんだろう。

好きなものを否定される、悲しさ

私は、ウルトラマンティガが好きだった。
『TAKE ME HIGHER』の前奏を聞くだけで胸が高鳴ったし、V6の長野くんをみれば「ダイゴ!」とときめいた。
それを父に、「もう小学生なのに」「女のくせに」「そんなもの未だに好きなんて、オタクだ、オタク」「そんなのバレたら友達引くぜ」と散々なじられてきた。
ものすごく腹がたったし、悲しかった。私は自分をけなされることより、自分の好きなものを否定されることの方がよっぽど辛かった。

人の「好き」を馬鹿にしていいと、どうして思えるんだ?

中学生、高校生になったら、いつか大人になったら。ティガなんか好きじゃなくなって、忘れてしまうのだろうか。忘れるころが、大人になったということなんだろうか。そんな寂しさに似た感情をもったこともある。
けれどそれ以上に、「好きなものをこんな理不尽に踏みにじられることが許されて良いのか」という気持ちがだんだん、ふつふつと湧いてきた。

私の場合、この父へのやり場のない怒りが原動力となって、受験勉強を死に物狂いでやりきれたのだが(父に自分と自分の価値観を侮辱されないために、ぜったい父の出た大学より優秀な大学に入ってやるという気持ちで)、
私たちの「好き」という感情は、価値観は、ほかの誰かに是非を問うものじゃない。きれいなものはきれい。好きなものは好き。そう思うことの何が悪い。
私たちが何を好きだろうと、私たちの勝手だ。
それはまた、相手が好きなものは、それもまた相手の勝手だ、ということでもある。たとえ理解できなくても、自分が好きじゃなくても。理解できないものを無理に受け入れる必要はないけれど、過度に拒絶したり排斥したりする道理もないのだ。
もう、右見て左見て前ならえの時代は、とっくの昔に「ババア」の価値観に成り下がった。今は、ただシンプルに自分の心の声を、素直に聞く時代だ。

好きはいろいろあって、だからきっとすばらしい

大学生になって初めての夏、サークルの同期とカラオケに行った。
そこで男子の同期が、いの一番に入れた曲。
「『木綿のハンカチーフ』、うたいまーす!」
「「いえーーーーい!!」」

内心、かなり衝撃を受けた。木綿のハンカチーフって。
けれどそのとき私は自分の心の中でなにかがゆっくりとけて、消えていくような感覚を感じた。私たちが生まれるより、ずっとずっと前の、”時代遅れ”な曲。それを堂々と歌う彼、当たり前に受け入れ盛り上がる同期たち。
そこに「古い」「ダサい」という空気は皆無だった。
私はその日、ポルノグラフィティを心から楽しんで歌うことができた。

一昨年、ウルトラマンティガは放送20周年を迎えたそうだ。
職場に、良くしてくれるおじさまがいた。(この人の話も、いずれしたい)
彼にはその時3つになるお嬢さんがいて、なんとウルトラマンが好きらしい。
「へえぇ…私、娘さんくらいの年の頃ティガ、大好きでした」
「お、ティガか!今出てるよ。オーブはウルトラマンさんとティガさんの力借りてるからな」
「へえええ!!そうなんですか!」
「でもな、娘の最近のお気に入りはタロウなんだよ」
「タロウ?!」
「そうそう。Youtubeで動画みてたら、ハマったらしくて。
大変なんだよぉ、毎日毎日タロウの主題歌の動画流して一緒に熱唱するんだ」
ああ、おじさまの元に生まれた彼女は、本当に幸せだ。きっと彼女は、自分の好きなものを心から楽しみ、大切にする素直な女性になるだろう。

私の肌感覚では、2000年半ばから急速にインターネットでのコミュニティが成長し、多様化し、今や主要な情報チャネルとなっている。
流行りやトレンドと言われるものは、相変わらず毎年作り出されるけど、別にそれに乗らないことが特別「ダサイ」と後ろ指をさされる時代でもなくなった。みんなそれぞれ好きなファッションを着て、好きな曲を新旧問わず聞いて、好きな所に出かけ、好きなことをする。何をすればカッコいいとか何をしてさえいれば正解、というものはなくなった。正解は、自分で考えて、見つける時代になった。

世界は、父が言っていたよりずっとずっと広く、そして優しかった。
自分の好きなものを、胸を張って好きと言おう。いえる時代に、私たちは生きているのだから。

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