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自分ができるようになっていることを、素直に振り返ってあげてみる。

パッと思いつくのは、料理、特にお弁当のおかず、だろうか。

私が仕事にお弁当を持って行くようになったのは、確か新社会人になってひと段落した6月くらい、だったろうか。
最初はカルディで買ったパスタとかトマトソースなんかをタッパーや保温ボトルに詰めて持って行くスタイルのシンプル(といえば聞こえはいいが、要はやっつけ)スタイルだった。
それが、一年目の秋頃上司が女性に代わり、その慈母のような彼女に決して見栄えのよろしくないものを見られそうになった時、例えようのない羞恥心を覚え、おかずをカップに小分けしてストックするスタイルに路線変更した。
それでも、家に帰ってから作業し始めるのが23時すぎなんてことばかりで、よく家族に疎まれた。

祖父母と同居するようになってから一番に変わったことは就寝時間だ。22時以降の作業は実質禁止になった。お弁当のおかず制作は、休日に限られた。
それも、6時過ぎからは夕飯の支度をしなければならないので、逆算するとどんなに遅くても4時台には作業を始めなければならない。
最初は要領が悪くて、見かねた祖母がしょっちゅう手伝いにきたり、おかずのために買った材料をいつの間にか調理されていたりすることばかりだった。
彼女の病気が見つかって、入院していた頃だけれど、思い出そうとしてもあまりよく思い出せない。ものすごく必死だったというのは覚えているが、それ以外がわからない。でも、その時期に私に何か変化があったんだろうなとは思う。
今はあの頃ほど料理にも、それの買い出しにも時間はかからない。2時間くらいで5,6品くらいは作れるようになったし、後片付けもちゃんとその中に収められる。
味のブレも少なくなってきて、この頃ようやく祖母に「まーちゃんは要領がいい」「美味しい」と言ってもらえるようになった。
ここまで来るのに、そうか2年かかったのだな、と思う。

できるようになったことは、自分の中では当たり前になってしまっていることなので、なぜかあまりぴんとこない。気づかないことも多い。
何かを取り組み始める時、多分相当数の人は、結果がすぐに出ることを求めてしまいがちだ。もちろん、私もそのうちの一人だ。

新しい仕事にしてから勉強しなければならないこと、したいことが膨大すぎて、くらくらする。ちょっとわかったと思ったら次にわからないことがやってきて、それに付随して新たな領域の知識というのがにわかに現れる。途方もなくて、どうしよう、と思ってしまう。日常の業務がそれに必ずしもリンクしているとはいえず、やきもきする。
そうすると、もういいか、諦めてしまおうか、という気持ちも出て来る。けれど、まだその方向に屈したくはないな、と思う。とりあえず続けてみる、「気持ち」というのは関係ない、と私の好きな作家さんは彼のエッセイで言っていた。
確かに、お弁当のおかずはやる気とは無関係に続けていた。どんなに疲れていても、それこそ「やる気」なんかなくても続けている。

だから焦ることなく根気よく続けなかれば、と今日も自分に言い聞かせている。一朝一夕にできるようになるものだったら、そもそも取り組むのも馬鹿らしいじゃないか。壁にぶつかって、ああでもこうでもないと思うものの方が、きっと取り組む価値がある。そう信じて。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!