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マイノリティの集合体

昨日投稿したnoteに、初めてコメントを頂きました。
ハルヤギさん、ありがとうございます。うろたえて食べかけていたトマトを危うく落としそうになりました。
頂いたコメントへの返事を考えているうちに、コミュニケーションの常識が目まぐるしく変わっていることを考え出し、そうだこれを今日はnoteのテーマにしよう、と湯船でいろんなアイディアが浮かんでいた、はずなのですがお風呂から上がってご飯を食べたり伯母のおしゃべりやテレビ鑑賞に付き合ったりしているうちにあっという間に霧散してしまいました。
人間の思考の不安定さを痛感します。

私はテレビでもラジオでも、声や映像につい集中してしまうくせがあります。どんなに興味がなくてもくだらないと思っていても、ついていると見てしまいます。だから何かをするときはテレビは消してしまいたいのですが、逆にテレビのようなノイズがないと安心できない祖母や伯母のような人もいるのもまた事実です。家族だからといって、価値観が共通しているわけではありません。お互いに独立した個人で、言ってしまえば『他人』ですから。

それでも『家族だから』と言う事実はあらゆる理論やロジックを凌駕する、と考えている人は多いように思います。免罪符のようなものでしょうか。
私も、私の親友も家族とは色々ある境遇なので、その辺りはだいぶ冷めていると思います。

彼女の彼氏、 ーといっても、別れてくれといっても別れてくれないからそのままにしていると言う遠距離の西欧人の彼ーは、まさに『家族愛』の信者で、そこの価値観が決定的に違うから手に負えない、とよくぼやきます。
彼女が彼女の家族に対して冷めているのを、「家族なんだから分かり合える筈だ、許せるようになる」と信じて疑わないようなのです。
彼女がそこは変わらないし変わるつもりもない、あなたとはそのスタンスが決定的に違うから、もう別れてくれと言っても、
「『絶対にいつか僕の言ってることがわかるようになる』って、もう議論にもならないんだよねぇ」
とのこと。ちなみに私は、この話をもう2年は聞いているような気がします。遠距離で実害(?)がないから、諦めて相手の好きにさせているようです。

家庭環境が幸せだった人が、羨ましいわけでも分かり合えないと思っているわけでもありません。
自分の当たり前が、自分以外の人にとっても当たり前であると盲信して、さらにそれに倣うように言ってくる人は、面倒だな、と思います。家族観に限ったことではないと思いますが。

特に年齢が親子ほどかそれ以上離れていると、どうしてもその傾向は色濃く出ると感じます。それでもこれまでは、ひと世代ふた世代前の常識でも、通用する部分は今より多かったのではないかと思いますし、人の価値観もある程度の「まとまり」や「単一性」があったのではないかなぁと思います。(裏を返せばマイノリティが抑圧されていた、ということでもあると思いますが)
それだけ、今の常識の変化と多様化は加速度が大きい。そんな気がします。
私が大好きで仕方ない森博嗣さんの言葉を借りるなら、マジョリティが解体されて多数のマイノリティの集合体にこれからの社会はなっていく、というよりなりつつあるのでしょう。『マジョリティ』は幻影になる。マスメディアが信じる「それ」はもはや無数に在る価値観の一つ、つまり一つのマイノリティに過ぎなくなるだろうと。
早くそれが世の中の共通認識にならないかなぁ、と期待してやみません。

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます!