テキストプレースホルダ

「嫌いではない」が勝てない時代;小手先の読書

6月4日の話だ。

4日といえばジャンプコミックスの発売日だ。


大学生協で買えば本が安くなるもんだから、「早稲田カード」を店員に見せつけながら『ワートリ』『約ネバ』『BORUTO』を買った。ワートリに関してはスクエアに移ってから読めていなかったから、「待ちに待った」という心持ちであった。

しかし、それと同時に、とある本も買っていた。

ずっと読みたいと思っていた村上春樹の『騎士団長殺し』である。


早稲田の戸山キャンパス(通称文キャン;文学部と文化構想学部で構成されているキャンパス。)にいれば誰もが読んでい(そうであ)る村上春樹。直属の先輩。

(当たり前すぎてか、あるいは一部教授が批判的であったためか、村上春樹ファンと言ってはいけないような雰囲気も感じる。)

文庫版が出版された時点で知り合いに読むことを勧められ、ずっと「読みたい」と思っていた。そして遂に、やっと、手に取ったのである。

ちなみに、決して村上春樹は「嫌いではない」。


ここで、外側の話をする。

僕は決して小説が「嫌いではない」。ただ、この団体の多くの人よりは圧倒的に読んでいないし、そこまで小説の“量”を読める技量(あるいは気持ち?)がない。「何よりも小説!」という勢いがない。

小説よりも楽しいもんがぶっちゃけ多すぎる。興味をより強く惹かれるものがありすぎる。

漫画もそう。クサかったり面白かったりする自己啓発を読み漁るのもそう。YouTubeを見るのも文章を書くのもそう。世の中のコンテンツは本当に時間の奪い合いを演じている。大学生は「自由」を標榜しているため、特にそれを感じる時期でもあると思う。

小説はあまりにもその点で不利だ。時間がいる。継続性が強いため、途中から読むなどの「小手先の読書」が通用しない。

それに乗じて、僕は、小説を読むことから何が得られるのか不安になる。僕にとって小説を読み通すのはなかなかの一大事だ。

損得勘定にやられてしまうのは勿体無いとかんじるが、小説が「娯楽」ではない。それが僕の感覚だ。


今の僕は、何も考えずに無条件に楽しめることを一つくらいしか思いつけない。やることやること、それぞれに何かしらの「義務」を感じる。

(有名)小説に関しても「読まねば」「知らねば」という気持ちが強い。出版業界に行く人間は結局読んでるであろうし、知らないのは「恥ずかしい」。

しかし、最近になって、本当に幼少期から本を読めばよかったとひたすらに後悔する。

小説で感動できない。小説で興奮できない。なぜか。「義務」感覚が植えついてからしかまともに読んでいないのだ。


一方で、なぜか『騎士団長殺し』は不思議と読み進められる。かつて『ノルウェイの森』をぶっ通しで読むことができた自信のようなものが「対村上春樹小説」にはあるのかもしれない。

小説を読む際に自分を奮い立たせる(必要があるのは残念だが)外的要因が、村上春樹に対しては強いのだろう。自信、好奇心、他人からの推薦。

実際に内容も面白い。


小説が売れない時代。読まれない時代。アイドルが書いた小説が圧倒的に「売れる」時代。

「読まれる」と「売れる」は別次元にありそうだし(『トラペジウム』の読了率とか見てみたい)、芥川賞や直木賞の盛り上がりも以前に比べて弱いような気もしてしまう。


小説が「嫌いではな」くても、「読まれ」ない。おじさんおばさんたち世代も小説は決して「嫌いではない」はずなのに読まない(若者はもはや嫌いかもしれない)。

僕は今、小説を読むことを面白いと感じているし、途中で挫折してしまう小説は、他より面白くないと感じているに過ぎない。


「義務」感を超えて小説に向き合える日が来るのか、外的要因の武装をし続けるしかないのか。それとも無理なのか。超えられなかったらそこまでだ。

「「嫌いではない」けど〜」が通じない世界。「好き」だけでやっていける世界。そんな世界がもうすぐそこにあるのだろうか。


「好き」だけで生きていける世界も違う気がする。本来、世界はそんな甘いもんじゃないはずだ。

なんだかんだ「好き」だけやって生きてこれた。受験戦争も「好き」をぶつけたらなんとかなってしまった。

甘えて生きてきたから、そろそろ「義務」を超えて見せようか。(なんとかなってしまうではなく、なんとかしてしまう人間になろう。)


最後に。

こんな題の文章を、個人用ではなく団体の寄稿用にしたためるのは違うのかもしれない。一方で、団体員がこれから幅広いテーマについて書けるようにするための前がかりとなれば良い。


p.s.
早稲田戸山キャンパス生協の売り上げランキングを見たら、なんと第二位が『FACTFULNESS』だった。ここ最近で売れまくってるビジネス書三銃士のひとつ(あと二つは『アウトプット大全』と『メモの魔力』、どれも30万部を超えている)。

いよいよ早稲田文キャン民を信用できなくなってきた。あるいは、圧倒的に親近感を覚えた。

この人たちもきっと、軸なんてないんだ。もしくは、軸が細くて多すぎるんだ。

p.s.
とか言いつつ、ワートリもしっかり合間を縫って(?)読みました。クソ面白かったです。

本もっとたくさん読みたいな。買いたいな。