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8.名古屋に行ってみたいな

不意に旅行欲が高まってきている。

もともと、僕は旅行は好きではない。行き来にかかる金と時間に対して見合うものが得られない限り、損した気分になってしまう。というスタンスをここ数年貫いていた。日帰りバス旅行など以ての外だ。疲労がでかすぎる。そう、思っていた。

しかし、旅行で得られる世界が以前に比べて広がってきているなと、最近感じ始めた。

例えば、

つい先日、香港に行った際に酒を飲んだ。香港での飲酒は18から認められており、青島ビールをよく飲んでいた。

よくわからなかったが、「うま」かった。

正直酒なんて全国のものを東京で買えてしまうことに間違いはないんだろうが、その地で飲むことに意味があるのだと感じた。つまり、飲む場所によってものに対する感受性的なものが変化する気がしてきた。

野球場のビールは「うまい」と聞く

ビールにはただ苦いという印象しかなかったのだが、場所、雰囲気によってそれも変わってくるのだろう。「うまく」なるのだろう。

おそらく旅行の醍醐味はそこなのだろう。普段感じない雰囲気を内包した状態の物事に接する。日本で買えてしまう洋書があったとしても、それは現地で買った方がなんとなく「いい」。

何が「いい」のか。実際は、味は変わってないのだろうし、もちろん本などに関しては何も変化はない。ただ、その地の空気をモノ自体が吸っているかのような気持ち良さがある。遠くで買った本にはひんやりとした現地の風を感じる。


そんなことを感じ始めていたところで、僕は、あいちトリエンナーレという芸術祭を知ることになる。

僕もついこの前まで知らなかったのだが、3年ごとに行なわれている芸術祭で、今年の祭典では、僕の大学の教授が割としっかり関わっている。1年の春から授業をとっていた先生が大きく関わっているという話の時点で割と興味は深かった。

そして、ミーハーながらそこにサカナクションが出ると聞いて一気に興味を惹かれた。(サカナクション小学生の頃からの付き合いだ。)

正直、美術館などにはあまり行かない質だ。それこそ、疲れてしまう。よくわからないし、と。

しかし、例えば、ライブという形態は雰囲気、空気を感じるためのものだろう。街をあげての祭典というものも、愛知あるいは名古屋を匂わせるだろう。芸術というものも、それが存在する空気感に大きく左右されるものだろう。

そう考え出した途端、いろんなものに面白さを見出せるような気がしてきた。非日常、知らない地、知らない風、知らない空気が流れている地のものを味わいたくなってきた。気がする。

ということで、この夏、愛知に行ってみたいというなんとなくの目標を立て始めた。真面目に調べてみると、旅行ってそこまで高くない。高いっちゃ高いのだけれども。

手のひら返しを繰り返して生きてきたが、こういう好転的な手のひら返しは積極的に受容していきたい。(旅行が良いことなのかどうかはわからないが。)

子供の頃から旅行によく連れて行ってもらった経験があるからこその「飽き」のような感覚。そして目覚めようと張り切っている僕に降ってくる、旅行に対する思いつきのような期待

「大学生は旅行に行くもの」のような流れに逆らいたい自分もいるのだろう。ただ、お金を貯めることに苦を感じにくくなっている気がするし、ちょっとためて頑張って行ってみたい。

旅行に行きたいなあと思う新学期開始。2連休がない日常の開始。


(写真は青島ビール。青島と香港離れてるけど。)


本もっとたくさん読みたいな。買いたいな。