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最近、お母さんが毒親だと思ったこと

■はじめに

初めまして、こんにちは。タルトと言います。
この話は、主に私がお母さんから受けた、毒親なんじゃないかと思う
出来事をまとめたエッセイです。

・私と同じような状況になりやすい方
 ┗ 一人っ子で女性の方
 ┗ 言いたいことが言えない方
 ┗ 大人しく真面目で、いい子だった方
 ┗ 反抗期に怒ることが面倒だと思い、あまり反抗しなかった方
 あくまでも、個人的な考えなので、必ずしも当てはまったからと言って
 そうなる訳では無いので参考程度にして下さい。

※この話の中で宗教の話が出てきますが、宗教を信じている方を
 悪く言うつもりはありません。
 ただ、宗教をやりたくないのに無理やり押し付けられるのが嫌なだけです。

■何か違う気がする

最近、気付いたことがある。
それは、特に自分のお母さんが毒親なんじゃないかということ。
昔から誰かと比べられ、いつも劣等感を感じていた。
自分が他人より優れたことがあっても、あまりお母さんから褒められた記憶がない。なので、他の人に褒められても、うまく喜べなかった。
元からあまり、お母さんを良く思っていなかったが、ここ数年で本当に自分の親なのかと思うほどの出来事が起きた。

■お母さんを嫌いになったとき

私が小学校低学年の頃から、お母さんは宗教を始めた。
毎日、お経を唱えたり早起きした日には早朝奉仕をしていた。
※早朝奉仕とは、最寄駅を早朝に掃除をすることを言う。

私が専門学生の時に、自分が作った作品が雑誌に載ったことがある。
その雑誌が発売される日、私は嬉しくて学校に行く途中に
朝早くから開店している本屋さんに行った。

自分が一生懸命がんばって作った作品が雑誌に載ったことを褒めてくれると思っていたが、その時にお母さんが私にこう言った。
「早朝奉仕をしたおかげやな」と。
嫌だと断ったけれど、朝早くにお母さんに起こされて一度、早朝奉仕しに行ったことはある。そんな風に言われると思っていなかったので、あまりにもショックで何も言い返せず泣いた。

何日か経ってから電話で謝ってきた。
その理由が宗教で「お子さんに謝りなさい」と言われたからと言ってきた。
その日を境に、だんだんお母さんが嫌いになっていった。

■就職活動

行きたい業種も決まっていたし、あまり成績がいい方ではないから
人よりも努力しなければならないと感じていた。
そのため、すぐに就職活動の準備を始めた。
しかし、そう簡単に内定を取れるほど世間は甘くなかった。

専門学校2年の秋から始めて、3年の7月になった時のことである。
夏までには内定を獲得し、夏休みを楽しみたいと思う気持ちがあって、少し焦っていた。活動範囲を関西だけではなく関東に広げても書類審査に合格するのは10通送って1通だけ。
もしかしたら、まだ書類審査に合格する率は、マシなのかもしれない。
多いときには、東京に月3回行くこともあった。
そんな努力の甲斐あってか、関東にある会社の2次面接まで進んだ。

出来ればここに就職したいと思っていた時、お母さんが私にこう言った。
「何かあったときにすぐに行けないし、落ちたらいいのに。」
就職活動を頑張っている子供にそんなことを言うなんて、信じられなかった。
お母さんには何も言わなかったが、何かあったとしても来てほしくないと心の中で思った。

せっかく2次面接まで進んでいた会社も不合格になり、書類審査に合格するために履歴書を書き続ける日々が、また始まった。
希望職種に就職したい気持ちを諦めきれず活動すること、さらに5ヶ月。
年を越す前に何とか内定を取ることが出来た。

■一人暮らし

実家から通うには遠いということもあって職場に近いマンションに引っ越し、一人暮らしを始めた。最初は炊事洗濯などで苦労することもあったが、親から何も言われずに生活していることが楽しかった。
寂しいと思ったことは、一度もない。

お母さんが嫌いだが月1回ぐらい実家に帰っていた。
実家まで帰るのに電車で約90分。
月1回ぐらいなら帰れなくもない距離である。

お母さんが嫌いなのに、なぜ実家に帰っていたかと言うと
・実家に帰れば炊事洗濯をしなくて済む
・月1回ぐらい実家に帰って、ペーパードライバーにならないように車を
 運転するため
・元気にしているのか心配だからマンションに行きたいと言ってきたので
 お母さんが来ないようにするため
など

毎回実家に帰ったら嫌な思いをしていたが、何かと理由をつけて半年続けた。

幼い時から自分の意見を聞いてもらえなかったので、自分の意見が言えない。
言いたいことがあれば言えばいいのだが、その言いたいことが思いつかない。
いつの間にか、お母さんの操り人形になっていたことに気が付かなかった。

■ありがた迷惑

一人暮らしをしてから仕送りが数ヶ月ごとに送られて来るようになった。
食べ物に困らないようにと送ってくれるのは、ありがたいが要らない物が結構入っている。お母さんとの関わりを減らすため、仕送りを断るようにした。

お父さんが家庭菜園をしているのだが、たくさん野菜が採れたから送ろうかと、お母さんから電話が掛ってきた。
この時も野菜とかあるから要らないと断ったのに、せっかくお父さんが作ったから親孝行やと思って食べなさいと言われた。

本当に要らなかったので、もう一度要らないと言った。
それなのに仕送りで届いた。
ダンボールを開けると、一人では食べきれない量の野菜が入っていた。
お母さんに電話で置く場所にも困るし、迷惑だから今度から送らないで欲しいと伝えた。

翌朝、体調が優れなかったので横になって休んでいると、いきなりお母さんから電話がかかってきた。
電話が鳴っていることに気付いたが、あんなに断ったのに送ってきたことに対して怒っていたので出なかった。

すると、ピンポーンとチャイムが鳴った。
こんな朝早くに誰か来たのかと思っていたら
「ガチャ」と玄関から変な音がした。
鍵が開いてドアロックだけしている状態で、少しドアが開いていた。オートロックのマンションなので、私がロックを解除しないと玄関先まで来れないはずなのに、おかしいなと思っていた。

「ガンガン、ガンガン」と音が聞こえて
「開けてー開けてー」という声がしたので、ドアの方を見ると、お母さんがドアの隙間から覗き込んでいた

居留守を使おうと思ってみたけれど、お母さんがこちらを見ている。
本当は、お母さんを部屋に入れたくなかったが、怖くて入れてしまった。
部屋を借りるときに鍵をなくしたら困るからとお母さんに言われて、合鍵を渡したことを心底後悔した。

何で来たのか、お母さんに聞くと「迷惑だからって言われたから、野菜を持って帰りにきたと言った。
まさか、そこまでするとは・・・言葉が出なかった。
イライラしすぎて、お母さんと一緒にいるだけで、お腹が痛くなってきた。
お母さんがしゃべりかけてくることに対して、適当に返事をして、何とか帰ってもらった。

はっきりと迷惑だからと言ってしまったばっかりに、こんなことになるとは思ってもみなかった。
この日を境にお母さんからの電話には出ず、メールで返事を送るようにした。最近では、お母さんからのメールは、ほとんど来なくなったが今度は、お父さんからのメールが来るようになった。
文章の内容がお母さんから来るメールに似ているのでイライラする。

両親を目の前にすると自分の意見が言えなくなってしまうので、とりあえず関わりを減らすようにした。
また、お母さんが急に訪ねてくるのではないかと思うと、不安になり鍵を変えてもらった。

■自分の意見を言ってみた

高校生になったときに人間関係などでいろいろあり、お母さんに宗教を勧められ何も考えずに休みの日に何回かお母さんと一緒に宗教へ行った。
最初は、宗教について興味もなかった。
いつも宗教が終わった後にお母さんと、いとこのおばさんと美味しいものを食べることしか考えてなかった。

その宗教に行くには、家から電車で40分ほどかかる。
休みの日にわざわざ行くのが面倒だし、いつもお経を唱えるときは寝てしまっていたので行きたくないと言ったら怒られ、しぶしぶ連れて行かされた。改めて毎回、寝てしまうのはどうかと自分でも思って、行きたくないとはっきりお母さんに伝えた。その日は何も言わなかったが、また宗教を勧めてきた。

深く考えたことはなかったのだが、お母さんは、お父さんには宗教を勧めない。嫌がっている私にばかり宗教を勧めてくるのでお母さんに聞いてみた。
お母さんは、私に対して「タルトちゃんは、運がないから」と言ってきた。

いつもなら何も言い返せないが怒りが爆発した。
「運がないってどういうこと」と言い返した。
お母さんは、済んだ話をよく掘り返して話をしてくる。
この時も、就職活動がなかなか決まらなかったことや第一希望の高校に行けなかった話をし始め運がないから、こんなことになると言ってきた。

もう、お母さんに何を言っても分かってもらえないと感じた。
「二度とこの家には戻らないから」と言って家を出た。

■今後、親との関係について

今後、親との関係をどうしていったらいいのか、ずっと考えていた。
毒親専門のカウンセラーにも何度も行った。
カウンセラーに行っても、どうするればいいのかは「自分で決めないといけないよ」と言われるたびに突き放されている気がした。

緊急以外の連絡はしないでと言っても、何ヶ月後かに
また、どうでもいい内容のメールがお父さんから来ることが多くなり、
電話したくないと言っているのに、お母さんからは電話が掛かってくる。
そんな日々が嫌だった。親と会わなくなって3年が経っていた。
なんで、こんなに辛い思いをしないといけないのか。

自分の気持ちは、どうなのかと考えて出た答えは、もう関わりたくない。
運がないと言われた時から、何となく心のどこかで決めていた気がした。
もう、縁を切りたいことを両親にメールを送った。
そうすると、お母さんから電話とメールがものすごい来た。
怖すぎて、電話には出なかったが留守電にこんなメッセージが入っていた

「何で急にそんなことを言ってくるの。」
「(お母さんが)仕事中に事故にあったらどうするの。」

運がないと言われたことに対して、謝られたことがなかったので
そのことについて謝ってくるのかと思っていたけれど、そうではなかった。
もし、ここで謝るようなメッセージが入っていたら
私の気持ちが、もしかしたら変わっていたかもしれない。
心のどこかでお母さんが謝ってくれるんじゃないかと思ってしまった。
お母さんは、自分のことしか考えていないことが分かったので
ある意味、良かったのかもしれない。

何日か経った日の夜21時頃に、いきなり知らない電話番号から連続で電話が掛かってきた。仕事の電話かと思ったけれど、怖くて出ることができなかった。その知らない番号からメッセージが届いていた。
小さい頃に家族ぐるみで遊んだことがある、おばちゃんからだった。
そのおばちゃんの子供と仲がよかったけれど、約20年ぐらい会っていない。

メッセージを読むと、話がしたいから電話に出て欲しいという内容だった。
何となく、おばちゃんが何を言いたいのか分かったけれど、メールで教えて欲しいと伝えた。
そしたら何通もメールが来て、その内容を簡単に言うと
「縁を切るなんて、そんな簡単に言っちゃダメだよ。」
「おばちゃんも、その気持ち分かるよ」的なことが書いてあった。

でも、おばちゃんに言われた時に何で分かるのって疑問に思った。
お母さんがどれだけ話したか分からないけれど、同じようなことを経験したってなかなか無いと思うし、そんなに簡単に分かるなんて言わないで欲しいと思った。また、自分も簡単に「分かるよ」と、言いがちだったが、今後は言わないようにしようと決めた。

おばちゃんからだいたい二日おきぐらいにメールが届いた。
小さい頃のことを知っているから、何とか親子の仲を修復させてあげたいと思う、おばちゃんの気持ちは分かるけれど、あの時の私とは違う。
メールでまだ言っていないけれど、正直迷惑なのでやめて欲しい

■あとがき

少し、時系列や文章がおかしなところがあるかと思いますが、最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

今まで起きた出来事は、昨日のことのように、ふと思い出す時があります。
こうして書いていて、誤字脱字がないか読み返すたびに、涙が止まりません。親と和解するという方法もあったかもしれません。
縁を切るなんて、そんなに簡単に決めてはいけないという考え方もあると思います。

しかし、今まで生きてきた中で、イジメられて辛いことなど、たくさんありました。その出来事を一瞬で超えたのが、先ほどまで読んで頂いた内容になります。親と仲良くするのも大事かもしれませんが、自分が辛い思いを隠してまで、仲良くしたいと思わなかったからです。
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これを書いたのは、なかなか忘れることは出来ないけれど
前を向いていきたいと思ったからです。
最近、毒親と言う言葉が広まり、同じように悩んでいる人がいるのでは無いかと思いました。
人生は、一度しかありません。
辛いことも苦しいことも、たくさんあると思います。しかし、ずっと悩んで苦しんでいるのは、もったいないと思いませんか。
私の話が読んでくださった、あなたにとって少しでも参考になれば幸いです。
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※成人式の時に、お母さんとモメて自分が着たい着物で成人式の写真を撮れていません。はれのひの事件を見て成人してから、あと2年で10年が経ちますが成人式の写真を撮り直したいという気持ちが強くなりました。

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