新潮45とSTAP細胞

新潮社の本を棚から撤去 和歌山の書店、新潮45に抗議
https://www.asahi.com/articles/ASL9N41TGL9NPXLB006.html

新潮社社長「常識逸脱した偏見」
https://this.kiji.is/415795571616121953


『新潮45』が話題になるにつけ、気になることがある。
「新潮社の本は売らない」「新潮社の本は読まない」「新潮社では書かない」それぞれ、
経営者、個人の判断なので、それはそれで良いのだろうけれど、
その先にある「思い知ればいい」のような思想はたいへんに恐ろしい。

問題の記事について冒頭の記事にあるように「言論の自由ではなく言葉の暴力だ」
という主張にはじゅうぶんに賛同できるのだけれど、
不買を高らかに宣言することで当該出版社の書籍その他を購入するひとを
貶めたり、辱しめたり、そのようにつながるのなら
それは本質的には非難している先と同等だと思うのだ。

問題の発端のひとつである某議員のツイートをさかのぼって読んでみたことがある。
年齢に比して幼く、ペラい主張が並んでいた。
件の問題発言について「彼女は若いから」という理由で擁護されているようだが、
この辺りに原因が集中しているのではないか。

彼女は実際に若々しく、美しいと思う。
さぞかし周りの権力者(恐らくはほとんどが中年男性)にかわいがられているだろう。
そうして、自分も周囲によろこばれるように振る舞ううちに、
「受けの良い発言」という意味でのみ、主張が技術として磨かれていったように察せられる。
好ましいリアクションを得ることで自分の思想(というにはあまりにも稚拙な)が正しいと自信もつけていっただろう。
それは「正しい知識」を持たないからこそ、そのようになってしまったのではないか。
(もちろん、ここで言う「正しさ」はわたしのバイアスによる)

彼女が多くの知識や深い熟慮の上に例のような発言を重ねているのなら
もう、救いは無いのかもしれない。
(それでも、放っておくわけにはいかないが)
そうではなく、上記のように世間の耳目を集めてはしゃいでいるだけなら、
「教育の機会がある」という意味で、まだ手の施しようがあるような気がする。
議員という立場を鑑みれば遅きに失した感はあるにせよ、
批判して、追い込んで、失脚させて野に放つのでは問題の解決にならない。
第二第三の彼女(承認モンスター)が輩出されるだけだろう。
繰り返しになるのだけれど、そうした流れが洗練されているとは思えない。

本来であれば彼女を擁護している周囲の人間が彼女に正しい知識を与え、
その上で物事を考え、発言するように教育するべきだろう。
(決して「矯正」ではない、矯正は元に戻る可能性がある)

わたしの想像力が明後日の方向に豊かなだけかもしれないのだけれど、
どうしてもSTAP細胞のことを思い出してしまう。
一連の責任を問われる中、笹井教授は自死された。
再生医療の希望であった彼の死がもたらした損失ははかりしれない。
(当該女性についてはその件に関連した書籍を上梓し、執筆料を稼いだ)
『新潮45』がもたらした事案に際し、社会的な制裁を受けるのは、社会に殺されるのは、
編集者なのか、出版社なのか、社長なのか、話題の元となった当人たちなのか、
あるいはそれは考えすぎで日々は何となく過ぎていくのか。

これを書いている途中にも冒頭掲げた社長の声明が投下され、市場はさらなる活況を呈している。

それでも今回、少なくともわたしは、不買を宣言することそれ自体が威嚇となるような、
そういう行為はしないでおきたい。

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