矛盾したイデオロギー

邦人ジャーナリストがテロリストに拘束された際、元航空幕僚長の「在日かどうか調べてほしい」という発言が取り沙汰されたり著名人が「英雄になるために自決しろ」と言ったことに多くの賛同が寄せられているのを見たとき、とてもインターネットぽいと感じた。
自己責任論を盾に被害者が糾弾されるのはいわゆる「炎上」に近い、あるいはそのものだと思ったのだ。
ユーチューバーに代表されるように、さいきんは誰でもにスポットライトを浴びる可能性がもたらされた。その結果、爪楊枝少年のような短絡的な行動を起こす犯罪者が発生するようにもなった。また、そのように極端ではないにしても勤務先の冷蔵庫に入ってみたり恐らくは就業規則に違反した食品を調理してその様子をSNSなどにアップロードしたりする。本人たちは注目されたい、ウケるかも、身内にチヤホヤされたい程度の発想だったのだろうが、激烈な批判を向けられることになり、社会現象化したりする。
発想の稚拙さが問題であるにしても、当事者への非難が異常だと思う。
原因としてこれは何度も書いていることだが、SNSなどの発達により誰もが気軽に意見を発することができるようになった結果、多少の不快感を表明することで以前に比べて可視化された非難の量が爆発的に増えたということがあげられるだろう。
それ以外には元々の日本人の性質が大きく関係しているような気がする。
本意はともかく、「和を以て尊しと為す」のようにカドをたてず、相手とうまくやっていくことが重視される社会であるので相手を否定したり、議論は口ゲンカのようであるとして敬遠される。
「コミュ障」と揶揄されるように協調性や公共性に欠けた人間はよくないものとされる。「コミュニケーション能力」や「協調性」の必要性はもはやイデオロギーであるので批判しにくいものになった。
その結果、落ち度のあるひとを執拗に非難したりバッシングすることが逆に是とされるようになった気がする。その集合体がいわゆる炎上であるのだろう。
グローバルや多様性を謳いながらその実イデオロギーに反するものは怒涛の非難にさらされる。たいへんに矛盾した状況である。

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