努力や根性では格差はなくならない

トマ・ピケティ氏の台頭により格差についての議論が盛んである。氏の言論について日本にはあてはまるのあてはまらないの、の議論も活発のようであるが、いずれにしても格差について考える機会のあることは良いことだと思う。
日本が格差社会に傾きつつあることには多くのひとが同意するところだろう。ただし、格差格差と糾弾されつつも本格的な議論に至らないことやそれに対しての大々的なデモ抗議などが起こらないのは日本の格差は抗議しにくいものであるからだ。
賃金の高く、安定した会社へ就職するためには良い大学へ入り、良い大学へ入るためには良い高校中学へ入り、良い高校中学へ入るためには良い塾に通う必要がある。ちなみに2014年の「東京大学新聞」が行った新入生へのアンケート(回答率92%)によると、全体の約5割が私立の中高一貫校出身であり、国公立の中高一貫校をくわえると約6割になる。また、中高一貫ではない公立高校出身者は約3割だそうだ。
さらに、東京大学が実施している「学生生活実態調査の結果」によると学生の約6割が世帯年収950万円以上であり、750万円以上だと7割を超える。平成22年度の厚生労働省の発表では世帯年収の平均は約550万円であるから、平均よりかなり高いことがわかる。
この程度のデータはググれば誰でもすぐに見つけられるし、あちこちで同様のことが言われているので少しでも興味のあるひとなら見聞きしたことがあるはずだ。
持てるひとに富がますます集中する、世襲による格差拡大、東大卒の親でなければ東大に入れない、医者の子でなければ医学部に入れない、のようないわゆる「再生産」についてはわたしの関心の中心であるので今後も何度も書くと思うが、今回は「持たない」ひとについてである。
2012年12月末、板橋区で主婦が殺害される事件があった。犯人は被害者宅の近所に住む無職の22歳の若者で、盗んだキャッシュカードで現金25万円を引き出した。
事件現場がわたしの家からそんなには遠くないこと(電車で30分弱だろうか)、被害者の年齢が自分とほとんど変わらないこと、犯人の出身地が自分と同じ福岡であったことなどが衝撃的であり、事件の経緯を見守った。
犯人は中学の頃のいじめが原因で不登校となり、その後も高校や短大を中退していた。また、犯行時には無職であったがその前にはアルバイトなどを転々としていたらしい。家庭環境や世帯年収がどうであったかはわからないが、経歴的には彼は「持たない」側の人間で、家賃も滞りがちなほど収入も低い、もしくは無かった。
彼の場合を眺めると生活に困窮するのは自身の問題でもあるのは確かだが、問題の発生が中学時代のいじめに起因するものだとすると、ドロップアウトした人間に対してのケアが十分でなかった可能性もある。
そうして、その結果が25万、たった25万のためにひとが殺されてしまったのである。
極端に思われるかもしれないが、格差が拡大するということはこのような事件の発生する可能性が高くなるということだ。
「持っている」側であってもこのような事件に巻き込まれる可能性が高くなる。つまり格差が拡大すると持たなかろうが持っていようが不幸の訪れる可能性が高くなるということで、持たない側にならなければ良いという単純な話ではないのだ。
「持たない」側に生まれてしまったのなら自らの努力で成り上がれば良い、努力が足りないから貧困から抜け出せないというのは全く理想論で、学費が高く、奨学金制度に問題のある日本では努力や根性でそのループから抜け出すことは困難である。しかし「努力して成功すれば良い」「努力しない本人が悪い」のような雑な成果主義がはびこっているせいでその困難さに国家が向き合っていない。
今後も格差は拡大し続け、富めるひとは富み、貧しいひとはますます貧しくなるだろう。治安は悪化し、高級住宅街では入口にゲートが設置され、スラム街も多くなるだろう。成果主義の空虚さに気付いた若者は夢を持たず、非正規雇用に甘んじる。灰色の未来は確実に近付いている。

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