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Prendimi l'anima/ ぼくの魂をきみに(1)

 2002年のイタリア=フランス=イギリス合作映画 "Prendimi l’anima"(ぼくの魂をきみに)を見た。監督はロベルト・ファエンツァ。イタリア北部トリノ出身でユダヤ系である。「アウシュビッツは終わらない」などの著作で有名なプリモ・レーヴィの親戚(またいとこ)にあたる。

 ユダヤ系のロシア人女性、サビーナ・シュピールラインの物語。スイスの精神科医カール・グスタフ・ユングとの「アニマ(魂)」の交流を軸に、サビーナの生涯を描いている。舞台は20世紀前半のヨーロッパ。時代に翻弄されながらも、愛と情熱を絶やさずに夢を追いつづけたある一人の女性の儚くも気概ある生を表現しようと試みた意欲作。

 映画の構成は、現代に生きるフランス人女子学生マリーがモスクワへ行ってサビーナの軌跡を辿るという設定。マリーの苗字は偶然サビーナと同じ「シュピールライン」。彼女の祖先はスターリン体制時にロシアからかフランスへ逃げてきたのだった。マリーはサビーナの日記を読み進めながら彼女への想いを馳せる。

[あらすじ]

 前半は、1904年にサビーナが両親にチューリッヒに連れてこられるところからはじまる。重度の精神病を患っていたサビーナはそこで当時まだ若い精神科医のユングに出会う。ユングの最初の患者としてフロイトの精神分析法で治療を受けることになるが、まもなくふたりは激しい恋に落ちる。ユングの治療は成功し、回復したサビーナは医学部に入学し自身も精神分析学を研究する。

 後半は、サビーナとユングとの関係が徐々に破局を迎えるところから。結局別の男性と結婚したサビーナは、1923年にレーニンがまだ生きていた祖国に戻ることを決意。当時モスクワの人々は歓喜に沸いていた。「地上の楽園」をつくるべく、人々は毎日のように広場に出て変革を求めて行進した。そんな人々の夢に自分も貢献したいとサビーナは熱意を燃やす。モスクワに「白い幼稚園」(l’asilo bianco)を設立。そこは、最大限の自由を子どもたちに提供することをモットーとする幼稚園だった。児童の中には偽名で登録されたスターリンの息子も紛れ混んでいた(サビーナはそうとは知らなかった)。レーニンが死にスターリンが権力を掌握すると国内情勢は悪化。自由な人間を育成することを目的とする教育は体制の意に背くとされ、幼稚園は破壊される。やがてナチスドイツがソ連に侵攻する・・・・・。

 構想におよそ20年の歳月を費やし、監督自ら「自分が撮った映画の中で最も情熱を注いだ作品」というほどの力作。とはいえ、監督は本作品に満足などしていな。むしろ、「未完」だと考え、いつかまた今回とは別のやり方で再び撮ってみたいという。それほどサビーナ・シュピールラインの物語に強い思い入れがあるようだ。

 ここで作品中からイタリア語のフレーズを紹介する。

スターリンの圧政が強くなったことやナチスドイツのソ連侵攻をサビーナが日記に綴る場面から。

"Prego Dio che i nazisti non si spingano fino a Rostov. Noi ebrei saremo i primi a soffrire se ci arrivano. Malgrado tutto io ho ancora fiducia nel futuro. Sono sempre la solita sognatrice, sì. Ma se non potessi sognare che senso avrebbe la mia vita."

「神様どうかドイツ軍がルストフまでやってきませんように。もし彼らがやってきたらまず最初に犠牲になるのは私たちユダヤ人です。それでもまだ私は未来に期待をしています。そう、私はあいかわらず夢想家なのです。そうかといって、夢を見られなくなったら私の人生にどんな意味があるというのでしょうか。」

 次回は、作品製作の背景を探る。


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