Prendimi l'anima/ぼくの魂をきみに (2)

 前回に引きつづき、R.ファエンツァ監督作品 "Prendimi l’anima” について。

今回は、制作に20年余りを費やすことになった経緯を探る。

 そもそも、制作のきっかけは、1980年にファエンツァ監督が偶然一冊の本を手にした時だった。その本とは”Diario di una segreta simmetria, Sabina Spielrein tra Jung e Freud”, Aldo Carotenuto, Astrolabio, Roma, 1980(「秘密のシンメトリー」、みすず書房、1991)だったが、そこにはサビーナ、ユング、そしてフロイトの書簡と、サビーナの日記が載っていた。

 監督はこの本を一気に読み終えると、程なくして脚本の第一稿を書き上げた。しかしそれはすぐゴミ箱行きに。これが長い旅のはじまりだった。

脚本は、書けども書けども廃案になった。なぜ上手くいかないのか本人にもわからなかった。仕事が思うように進まないことを、周りの人のせいにした。

 そうこうしているうちにわかったことは、資料が不十分だということだった。

先に挙げた『秘密のシンメトリー』に収録された書簡と日記は部分的なものにすぎなかった。日記については、サビーナが1942年まで生きていたにもかかわず、1909~1912年の3年間分しかなかった。

精神分析の領域ではすでにサビーナに関する研究が多くなされていたが、研究者たちは一様にその技術的な側面に関心があった。その関心とは、とりわけ、患者(サビーナ)と精神分析家(ユング)の間で起こる「転移と逆転移」の問題であった。

 しかし、監督の描きたいものは、むしろサビーナの人生であり、日記の「空白部分」だった。サビーナについて監督自身が描きたいものと、精神分析の専門家たちとの関心事が違っていたのだ。専門家たちは、悲しみや苦悩を伴ったあるひとりの女の子の人生というものには興味がなかった。

 サビーナ・シュピールラインとは一体何者だったのか? ロシアに戻ったあと彼女に一体何が起こったのか?

このままでは彼女の本当の姿にたどり着けない。監督は一大決心をし方針を変える。

ロシアへ行き、自らの足でサビーナの軌跡を辿ることにした。もはや映画関係者としてではなく、いわば「刑事」としての活動だった。

というのも、ロシアという国は「閉ざされた国」だったから。スターリン体制時の資料を入手することはおよそ不可能だった。電話帳もなかった。サビーナがモスクワで精神分析のクリニックを開いていたと、ある人物が書いていたが、それは正確な情報ではなかった。

わかったことは、ロシアでサビーナのことを調べるには、「非公式」に行わないとうまくいかないということだった。そして監督は「闇市」で情報を入手した。

 幸運にも、サビーナが働いていたモスクワの幼稚園の最後の生徒だったという男性に会うことができた。すでに84歳だった。はじめは幼稚園のこともサビーナのことも覚えていなかったが、話しているうちに突然みるみる思い出していった。

 もう一つの幸運は、映画制作中に、突如、シュピールラインという姓をもつある一人の女性が現れたこと。このシュピールラインはサビーナについて研究をしている人で、向こうから監督に連絡がきた。自分がサビーナの親戚かどうかも知りたがっていた。

 映画の後半部分は、こうして、監督自ら得た資料や、映画制作過程で実際に起こったエピソードに基づいて作られた。 

この映画、前半部分の描きかたについては批判もある(ユングとサビーナが体の関係にまで至ったという証拠はないなど)。しかし、自分が描きたい事のために長い年月をかけて監督自らが刑事/歴史家になりきってサビーナのことを調べ上げ後半を作り上げたという点にこそ、本作のみどころがある。   

 最後にまた作品中からイタリア語のフレーズを紹介する。

サビーナが、「これが私の遺言」と言ってそれを書いた日記のページ開いてユングに差し出し、ユングがそれを読む場面から。

"Quando morirò voglio che il dottor Jung abbia la mia testa. Solo lui potrà aprirla e sezionarla. Voglio che il mio corpo sia cremato e che i ceneri siano sparsi sotto una quercia su cui sia scritto anch’io sono stata un essere umano.”

「私が死んだら、私の頭はドクター・ユングが受けとるように。彼だけが私の頭を開けられるでしょう。彼だけが私の頭を解剖できるでしょう。私の身体は焼いて、その灰を樫の木の下に撒いてください。その樫の木にはどうぞ『わたしも一人の人間でした』と書いてください。」 

【参考URL】
http://www.apav.it/mat/tempolibero/cinemaematematica/personaggi/allfilmprendimi/intervista%20faenza.pdf
http://win.cinemaepsicoanalisi.com/faenza_roberto_intervista_prendi.htm
http://www.psicoterapia.it/rubriche/print.asp?cod=3670

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faber

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執筆者:坂口夏子  イタリアのメディアから面白うそうなものをピックアップして紹介して行きます。
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