2019年1月第3週の近況報告

近況
再投稿した第一回にも書きましたが、今まではてなブログに投稿していたインプット日記を今週からnoteに書いていくことにしました。よろしくお願いします。
操作に不慣れなので色々雑ですが徐々に改善していきます。
報告は基本的には土曜日更新のつもりでしたが、ずいぶん後ろにズレこんでいまいました。

お引越しをしたので改めて週間目標も書いておきます。
(1)週に映像を合計90分以上観ること
(2)週に小説or小説以外の本を合計280頁以上読むこと(電子書籍なら70%分)

進捗
今回はどちらも達成。
・読書(合計75%)
(1)戸田山和久「恐怖の哲学」(NHK新書):92%〜95%(読了)

(2)読書猿「問題解決大全」(フォレスト出版):55%〜83%(読了)

(3)小川一水「天冥の標Ⅹ 青葉よ、豊かなれ PART1」(ハヤカワ文庫JA):0%〜44%

・映像(映画1本)
(4)「劇場版「Fate/stay night [Heaven's Feel]」 Ⅱ.lost butterfly 」

感想
まず(1)「恐怖の哲学」は先週の読み残しですね。紹介は前回したので割愛します。

(2)「問題解決大全」
途中まで読んでから積んでいたものをこれを機に崩してみました。前著「アイデア大全」の姉妹編にあたり、ちょくちょく前著へのリンクも案内されます。
今回読んでいたものは第2部の「サーキュラーな問題解決」が主だったのですが、これがどれも面白い。たぶん認知的なレベルに介入する技法だからでしょうね。
「サーキュラーな問題」とは簡単に言えば、解決の糸口が見つからない循環的な問題のことで、その問題解決とは当事者が循環構造の破れを見つけるための方法ですね。たとえば初めに紹介されている「ミラクル・クエスチョン」は「問題が完全に解決・解消したところを想像し、その様子をできるだけ詳しく描写」することを促し、描写したものから解決策を選ぶというもの。問題のただなかにいる人同士が考えても「できない理由」が漫然と列挙されるだけで、解決の糸口に繋がらないままウンウンと唸って終わることが多い。そうではなく、解決した状況をまず想像してみると、その状況からの逆算で問題解決に不足しているものがわかることがある、という事例がイタリアの化学工場を例に紹介されています。あと個人的に好きだったものは、「問題への相談」という問題を擬人化してインタビューしてみるというユニークな技法で、例えば引きこもりの問題なら、引きこもり当事者を「巌窟王」と名付け、巌窟王を部屋にこもらせている問題の主体を「こもらせ様」と呼びます。そして「こもらせ様」へのインタビューを通じて問題の性質を探っていく。
自分でもこれは使っているな、と思ったものが「推論の梯子」。これは目の前の事実から行動に至る推論の段階(「事実」「選択」「推論」「結論」「確信」「行動」)を梯子に見立て、そこから上り下りすることで前後の行動を見直すというもの。自分ではここまで精密に認識していなかったのですが、他人の言動をもとにどう考えたのかを分析するのが好きなので、こうした階段の上り下りを意識することがあります。その次に紹介されている「リフレーミング」も考え方が好き。有名なトム・ソーヤのエピソード。トムがペンキ塗りを友達をうまく丸め込んでやらせてしまうやつなんですが……しかしさすがに長くなるので紹介はこのあたりで辞めます。言うまでもないですが読書猿さんの二冊はおすすめです。目を通しておいて必要なときにめくってみるのがいいかも。

(3)「天冥の標Ⅹ」
ついに出たぞ!!!小川一水先生の長編シリーズの最終巻、三部作の一作目が!!!
現状ここからさらに三分の二まで読み終わっていますが、大変面白いです。
いやそんなことは誰しもがわかっているんだけど、このシリーズはなんといっても安定感が素晴らしいんですね。大きな流れは想像ができるように書かれているんだけど(なんといったって年表があるくらいだし)切り口がつねに斬新で飽きない。
担当編集氏が小川一水の全てを出してくださいというオファーから始まったシリーズらしく、著者はありとあらゆる手を使って「天冥」ワールドを広げていく。
今巻もそれが存分に現れている。ここでネタバレをする気はないんですが、Ⅸまでで出揃った要素を固めながら着実に終結に向かって帆を広げていく感覚に満ちています。
今まで物語を進める脇で語られてこなかったアレやコレが書かれていくと、ああもう終わってしまうのか、と寂しさを感じることはあります。
しかし、まずは、この物語が畳まれていくことについて素直に祝福を送りたい。

(4)劇場版HF第二章
観た後に脱力している感想をよく見かける。それもよくわかる。なぜかというと、これは士郎の選択を追体験する物語だからだ。
士郎の選択とは何か。原作が有名作だし伏せる必要はないと思うので書いてしまうと、それは桜を殺すかどうかだ。マキリの聖杯の影響で人を喰らうようになった桜は紛れもなく「悪」であり、正義の味方になりたい士郎からすれば打ち倒すべき敵に他ならない。士郎は徐々に聖杯戦争のみならず街全体を侵食する「影」の正体が桜だと気づくが、気づいてもなお士郎は桜の味方であろうとする……のだが、日々刻々と選択が迫られ、士郎はついに一つの決断を下すことになる。
このシーンがすごく苦しい。士郎の苦しさが伝わってくる。
なぜこれほど「苦しい」のかといえば、桜という存在の価値が観客にも伝わっているからですね。この映画が凄いのは、桜というヒロインを描き切るという執念に満ちているところ。というか、「俺は桜だけの正義の味方になる」という士郎の言葉はまさに須藤監督の姿と重なって聞こえる。俺こそが桜を描き切ってみせるのだ、と。
それに、この台詞が描かれる雨中の場面もすごくいい。様々な秘密を士郎に対して持っていた桜が、こんな姿を見せては士郎に受け入れてもらえないと拒絶の言葉を投げるなかで、士郎は一歩ずつ桜との距離を詰めていく。硬い繭が解けていく。しまいには桜から貞操に関する決定的な一言が放たれるが、それすらも士郎の歩みを止めさせる材料にはならない。この歩みの説得力と英雄性はまさにUBWを描いた後にしか生まれないものですね。
あとは今回の映画オリジナルの演出として「桜の夢」の場面がある。これも素晴らしい。これによって桜の怪物性がひときわ際立っているし、半面に残っている人間としての桜という両義性が現れている。食欲という欲求を上手く消化していて良い。
これは次章で描かれる内容だけど、そのように人外になった桜を一人の人間として怒り、また赦すために、士郎は自ら進んで人を辞める。そしてこの犠牲によってこそ第三魔法の祝福が与えられるというHFの構図はやはり美しい。派手な展開しか残っていない来年の春が楽しみです。
今回聖杯としての桜に注意が向いたので、さすがにホロウをプレイしようと思いvita版を買いました。暇を見つけてやります。

では今回はこのへんで。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?