良い整体師、ダメな整体師。

しばらく前に整体や整骨院に足を運んでいた時期があった。

ひどい肩こりや故障に悩まされていたわけではない。

自分の身体の状態が「良い」のか「悪い」のか無性に知りたくなり、客観的な意見をもらいにいくためだった。

そう、身体のことにかぎらず

"人は自分自身のことを、実はよく分かっていない"

というポリシーのようなものが僕にはある。自分の信念に殉ずる気持ちと同時に、思いっきり疑う必要が存在している。


自分では絶好調だと思っていたのに、突然体を壊してこれまで無理をしていたことに初めて気づくのはよくあることだ。

あるいは日常にストレスを感じていないと思っていたのに、どこかに旅行に行って見知らぬ土地の空気を吸うだけで、普段の自分が窮屈な思いをしていたことに気づいたり。

しいたけ占いがあれだけ支持されたのは「無理をしていないと思い込んでいる自分を、無理をしなくても良いんだよ」と語り続けてくれているのが世相に絶妙にマッチしたんからだと思う。


さて、整体師には2種類いる。

「お前の身体はひどいから、俺が治してやる」というスタンスの人と、

「人間の身体はそもそも素晴らしい。ちょっとお手伝いすれば勝手に治る」というスタンスの人だ。

前者はまちがいなくゴミクズだと断言していいと思っている。

そういった整体師は、単に患者を依存させたいだけなのだ。たしかに施術を受けると気持ちがよく、一時的に治る。しかし、一定期間を経ると負荷が蓄積して、同じところに同じ症状が発生する。それで「治している」と本気で思っているのならば、ただのアホだ。

ただ、何らかの症状で困っている人は頼らざるをえない側面がある。だから一時的に楽にしてくれる人に依存しがちだ。

負のループから解放してあげること、頼らなくてもいいようにすること、それが整体師だけでなく、医者や歯医者など「先生」のつとめになる。(商売にはならないんだけれど)


後者は、人間の身体への敬意が本当にある。僕が知り合ったなかでは、操体法の今さん、野口整体の野口晴胤さん、友人の宇野さんがそれらだ。

本来は完璧な人間の身体。それを阻害している要因──多くは生活習慣や姿勢、職業病──に着目し、少しでも本来の働きを取り戻すためのアプローチを取る。

そして、「間にあえば良い」というスタンスを取る。

悪い習慣ですら無理に取り払わなくても、それに気づいて、少しでもその時間を減らしたり、緩和させるケアを行えば良いというやさしい態度である。


そして、そこに自分の技術を誇る慢心のようなものはない。そんなものは当たり前のことで、それ以上に他人の身体をさわらせていただくという気持ちだけがそこにあるように感じる。

それこそ愉気の慈愛の精神に近いのかもしれない。野口整体の晴胤さんだけでなく、他の人たちも共通して持ち合わせているのが、僕には面白く感じられる。


そう、良い整体師はふれられた瞬間に確信する。こちらの抵抗を生まないようにすっと指をもぐりこませて、絶妙なタイミングで圧をかけてくれる。そして、本来の動きを回復させようとしてくれる。

「治してやる」というコントロール欲求ではなく、「余計なことをしなくても、勝手に治る」という手添えのように。

自分自身は、整体の技術を持ち合わせていないのだけれど、ふれられた瞬間に「この人は、どっち側の人間か?」というのは伝わってくる。

これは僕だけでなく、おそらく誰でも意識してみれば、きっと分かるにちがいない。

整体にかぎらず、他者に対して

「余計なことをしなくても、この人が本来の自分でいられたら、それで大丈夫だ」

という思いで接していくこと。

それは簡単なようで、いちばんむずかしいことだと感じる。

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コメント1件

はじめまして。これって整体に限らずすべての分野で言えるような気がします。どんな専門家でも,上から目線で押し付けがましい人って「本当のプロじゃない」と感じます。
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