エッセー

あまりに思い入れが強いため、それに関わりたくないということが往々にしてある。

ぼくは中学生のときに「花咲くいろは」というアニメにハマった。大好きだった。見ているときはボロボロ泣いていたし、見終わったあとは放心していた。それくらい印象に残った作品だった。

あまりに鮮烈で、ガツンとやられたと思った。それから見返したことはたぶんほとんどないと思う。 見れないのだ。どうしてなのだろう?



ぼくの思うに、思い出をそのまま残しておきたいからだろう。初めて受けた鮮烈な印象を、何度も見ることで薄れることが嫌なのだと思う。
もっと深く捉えるなら、「その作品を味わえなくなった自分になった」ということが嫌なのだと思う。

ある作品が心に残り続けていることで、自分は変わっていないということを確認しているのだろうと思う。
 一方で、同じ作品でもそれに関わった時期が異なれば、受ける印象が変わるというのはよくある事だ。高校生の時に読んだ「こころ」と働くようになってから読む「こころ」では全く別な印象だろう。それは、作品を読む側が変化したことを意味している。作品は決して変化しないのだから。


ぼくはこれからも「花咲くいろは」がいちばん好きなアニメだと言い続けるし、オースティンの「高慢と偏見」がいちばん好きな小説だと言い続ける。
そうすることで、自分は変わっていないって確かめたいから。


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