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一年振りの母は

実家最寄り駅の駅ビルで小さなミニブーケを買って帰宅。

久しぶりに会った親が小さくなっていて切なかったという話をよく耳にするけど、うちの両親は切なさとは無縁で元気いっぱいだった。
花好きの母は1000円もしないミニブーケをすごく喜んでくれた。

胆管がんかもしれないんだよな。
認知症が始まってることも受け入れなくちゃならない。
ところが当の本人は陽気でのんきで明るかった。

会話には困らないが、そこかしこで「忘れちゃったの?」と言いたくなるような質問を挟んできて私は一瞬「え?」となる。
やはり年相応、単なる物忘れでは片付けられないように思える。
そばにいる父とは会話の質が明らかに違う。

今はまず、入院の準備をしなければ。
小さめのキャリーバッグを持っていくつもりらしい。中を見たら、三泊四日の入院には必要のないあり得ない枚数のミニタオルとハンカチが入っていた。
実の娘なので、容赦なく全部出し。
こんなにいらないよね。

それからまる一日、出したり入れたり出しても入れたり、アメニティグッズは病院で頼むのに、油断すると歯磨きセットや割り箸を大量にバッグにイン。こりゃ終わらんわ!

以前なら、母の作業に私がこんなに手を出したら間違いなく反論、お互いにちぇーっ!となって、うまくいくわけがなかったが、なんてったって陽気なので、
「また入れたの?入院グッズ申し込んだから歯ブラシ要らないってば。」
と言っても
えへへと笑って「なんで?」
最後は笑えてきた。

入院前日から何度も何度も出発時間を尋ねてくる。忘れるんじゃなくて記憶が定着しないというのはこういうことか。これに毎日付きあってるお父さんは偉いな。
でも会話を聞いていたら、
「何回言うたらええねん」とかキツく聞こえることも言っている。
母が傷つくのではないかと心配するも、
「何回でもゆうて〜」と返されて父も笑っている。
「人間修養や」

これから始まる私ら家族の人間修養の道。明るいほうに振っていきたい。陽気になった母のお陰でもある。

陽気な母がキッチンでなんか言っている。
「可愛い花やわ。あんた買ってきてくれたん?どこで?」
何回言うたらええねん!
人間修養が足りない。






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