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高野聖(短編小説)初出版1900年

この話はリクエスト作品になります。

これは多くの事に共通して言える事ですが、
漫画や映画、小説等は進歩し、進化し続けて
きました。

この作品は当時では、高い評価を受けた小説
ですが、現代ではそれほど面白みを感じる人
は少ないと言えるでしょう。

1900年代に於いては、幻想文学とも幻想小説
とも呼ばれた作品であり、超現実的な幽玄世界
の中に、語り手となる旅の僧侶と、その道で
出会った聞き手となる読み手が読者となって、
僧侶が過去に体験した不思議な怪奇譚を
聞かせる物語となっています。

この手の話は、超現実的な幽玄世界の中に、
怪奇的な話を入れ、更にその中に再び超現実的
な話をする事によって、複雑化するように
見えますが、実際にはそれほど複雑では
ありません。

多くの人は、おそらく高い評価を受けた事から
先入観で見てしまい、複雑そうに見えて、
自分ではわからないと思い込む現象を生みやすい
ものとなります。

映画であった『インセプション』が感覚は近い
ものとなります。
この作品には、「スノーデン」を主演した
ジョセフ・ゴードンやディカプリオ、
キリアン・マーフィー、トム・ハーディ、
渡辺謙などが主演として出たハリウッド映画に
なります。

『インセプション』では夢の中の世界へ入り込み、
その夢を見ている対象者に対して、夢を現実の
ように思い込ませる映画でした。

渡辺謙の依頼でディカプリオ率いる精鋭陣で、
夢の中の夢の中の夢の世界へと落ちていき、
それは不可能とされていたものでした。
ディカプリオだけはその経験者でありましたが、
あまりにも長い間、夢の世界にいた事から、
ディカプリオの妻のモル(マリオン・コティヤール)
は、夢と現実の区別がつかなくなり、
二人の結婚祝いで取ったホテルの上から、
モルは自分で目を覚ます唯一の方法である、
死を選びます。ホテルから飛び降りる前に、彼女は
弁護士に夫から命を狙われていると文書で送り、
彼も夢から覚まそうとしました。

しかし、それは現実世界であった為、
彼は逃げなければなくなり、アメリカに戻れず
各地を転々としてました。
渡辺謙はエネルギー会社の社長で、
コブ(ディカプリオ)は依頼を受けて、
彼の会社の秘密文書を盗ませようとしますが、
斎藤(渡辺謙)は夢の中での事を、コブによって
生み出された夢の中でしか存在しない妻のモルに
コブとアーサー(ジョセフ・ゴードン)の事を
バラされて失敗します。

コブの意識外でも、モルを感じると自然に彼女は
彼の夢の中以外でも生まれます。
そしてモルはコブの邪魔をして再び一緒になろう
と色々仕掛けてきます。

このように、人が生み出した作品で色褪せるものと
色褪せないものとに分かれます。

絵画や彫刻などは、永遠の美として称えられますが、
本や思想、映画等では、進歩と進化の融合体の
ようなものであるので、当時は確かに斬新だった
内容でしたが、それを踏まえて新しいものが生まれます。

本や映画、思想等は常に時代背景も観なければいけません。
何が流行っていたか等は非常に重要になります。

例えば、ゲーム業界を大きく世界に売り出したのは、
インベーダーゲームでした。
しかし、今、インベーダーゲームをしても楽しめる人は、
皆無といってもいいでしょう。

映画に関しても、特にハリウッド映画の世界では、CGや
特殊メイクの技術は年々進化しています。

このように、一点だけから物事を見ても、見えない要素が
沢山あります。今回、ご紹介した『高野聖』もそれに該当
します。

最初に出た作品であったからこそ高い評価を受けました。
その功績は確かなものではありますが、現代でそれは
もうすでに幾冊となって世に出てしまっている以上、
再び『高野聖』が脚光を浴びる事は少ないはずです。

話の内容的に、著者である泉鏡花が伝えたい事は、
僧侶であっても女の美と魅には負けるものである事と、
彼の汚れた体を洗う時、いつの間にか周りには動物たち
がいて、その美しい女性は裸になっていたにも関わらず、
男の性を抑えた僧侶だけは、その美しい女性と性行為を
持った人々は動物に変えられてしまった点です。

僧侶も途中で引き返して女性と一緒に暮らそうと
戻りかけていた時、その女性の家で馬を売りに来ていた
男性と出会い、女性の正体を僧侶に明かします。
その連れて来ていた馬も元は人間だったが、
女性と性行為をしたため、馬に変えられたと知り、
僧侶も逃げ出したといったものです。

まず最初は現世の世界の話からまずは、妖魔の世界に
入りかけ、動物たちが女性にまとわりつくような
尋常ではない光景を目にしても、彼が逃げ出す事は
ありませんでした。この時の世界は人の世の世界から
大きくずれていると言えます。

そして美しい女性に魅了されましたが、耐え抜いて
戻ろうとしていた時は現実であって、更に帰り道で
馬屋の男に出会い、女性の正体を明かされた時は、
怪奇な世界へと入っています。

問題としては僧侶である事と、超現実的な幽玄世界
であったことから一気に、怪奇的な世界へと変貌して
行く様が極端であるため、当時の読者たちを魅了した
のだと思います。更に怪奇的な現象に深入りしていく
事によって、読み手に先読みされないような話にして
いますが、最初から最後まで、語り手の僧侶と、
読み手である読者の関係は変わらず、ただの経験談を
話しているので、話に引きずり込まれる人たちは、
その冒頭にある状況を忘れてしまっていたのだろうと
思われます。

どんなに怖い話であっても、僧侶が生きている以上、
それがどんなに怪奇的な物語であっても、
ただの体験談である事に変わりは無いので、
そこを忘れなければ、物語の迷子になることは無いと
言えます。

今、読んで、話がこれで終わるはずがないと、思って
しまうのは、高い評価を受けた作品だからという
思い込みだけであって、出た時の時代を考えれば、
今、読んだとしても、それほど心が揺らぐ作品では
ないだろうというのが、私的な意見になります。

時には時代背景はせずに考えたりもしますが、
いつ出た物語かどうかでそれは違いを見せます。

慣れていけば、それは自然と身につきます。
一瞬で脳内が判断します。
私が話した内容以外の所をより深く知りたい場合は、
またコメントを頂けたらと思います。

進化と進歩を忘れずにいれば、大抵の事は判断
できるようになりますので、それを忘れないよう
にすれば、このくらいの作品なら、今ではそれほど
難しい話では無い事に気づけるはずです。

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