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中学時代の友人 1

彼は中学を卒業した後も、一番長い間
つるんだヤツだった。

卒業文集を以前、たまたま目にして
見た事がある。
その時、私は二十歳を過ぎていた。

女子が思う男子の印象や、
女子が思う男子の将来などが、
書かれていて、私の将来は医者になる
という意見が多かった。

それを見て、私は思った。
中学生の時には気づかなかったが、
単純でまだまだ子供なんだと
真底思った。
私の中学校は2つの小学校が一つに
なる為、人数もそれなりに多かった。
全校生徒で千人くらいいた。

そして、相当厄介な中学校だった。
ケンカ組、盗み組、雑魚組にだいたい
属していて、ケンカと盗みをするような
ヤツもいたが、雑魚組は形見の狭い思いを
していた。

卒業文集の中に、むっつりスケベランキングも
書かれていた。私は見て直ぐに笑いが出た。
当時、つるんでいた奴がダントツで一位
だったからだ。
私はその事をそいつに伝えると、
苦笑いしながら言ってきた。

「無い無い。中学生の時、俺を好きな女子
は沢山いた」と確かに言った。
私はそれを他の連中に話したら、
「あいつは変わってるから、
まあしゃーない。つーか、アイツを制御
出来てる〇〇のほうが凄い。どうやったら
ツレに出来るのか教えて欲しい」

言われて思ったが、制御はしてないというか、
出来ない。10年ほどつるんでいたが、
色々あった。有り過ぎた。

名前を書くか今、迷ったのには理由がある。
しかし理由を言うと名前はバレる。
謎解きのような話になるし、
問題にはならないので面倒なので名前を出す。
私は事情が複雑なので〇〇で通す。
ソイツの名前は春木と言って、苗字が春木
なのだ。
春木が以前、言っていたが広島で春木という
苗字は自分の家族しかいないと言っていた。

理由を言えばバレるというのはそういう事だ。

どこから話すべきか今、考えてみた。
中学の時の同級生とは、1年に一度は集まって
飲み会をしていた。

二十歳を過ぎた頃からし始めた。
当時を振り返り、誰もが色々な話をする中、
春木は私とは中学時代は同じクラスに
なった事は無かったが、春木は私を知っていた
と言ってきた。

理由を聞くと、中学時代は私は週に3回以上は
ケンカをしていたので、「また〇〇が喧嘩しとる」
と話は他のクラスにも伝わっていたらしく、
彼と直接、話したのは中学3年生からだった。
私は友達に誘われてクラブに入っていただけで、
ほとんど出る事は無い状態で、帰宅部は無かったが、
帰宅部状態であった。

弱いくせに喧嘩をよく売って来るのもいて、
1年生の時は卓球部、二年生の時はテニス部、そして
三年生の時は仲の良い友人と話して、
美術部に入った。

顧問の先生は、こんなに多く部員が入ったのは
初めてだと喜んでいたが、絵を描いた記憶は全く無い。
集まって色々話していた。

春木とは二年生の時に、私が1人で帰っていた時、
友達が一緒に帰ろうと言って来た時に、ソイツと一緒に
春木もいたが、話す事は無かった。

中学生だったし、私のストレスが一気に解放された
時でもあったからか、まず幼稚園の時に私を毎日のように
集団で虐めていたリーダーがいた。
小学校が別だったが中学校で再会を果たした。
当然、フルボッコにした。

クラスは別だったが、廊下などで出会う度にボコボコにした。
加害者はあまり記憶の無いものだと知ったのは、
仲の良かったメンバーでの飲み会で、今だから言えるけどと
前置きをして、木村という奴が、中学時代は実は私が怖かった
と話し始めた。一回も文句も言った事も無い相手で、逆に
助けた事があったのにも関わらず、目を合わせるだけで
殴られるかと思っていたと言い出した。

それに便乗するように、春木が、「毎日のように〇〇が喧嘩を
しよるって聞いてて、一体どんな奴なんかと思っとった」と
言い始めた。木村は1年生の時、卓球部に誘ってきた友人で
あったので意味不明であった。

春木と話すようになったのは、二年生の時、彼もテニス部
だったがそこまで話し込む事は無かった。
私は記憶力は良い方だが、加害者はやった事を忘れる。
被害者は覚え続ける。

これは私の経験からそう言える。虐められていた記憶は
鮮明に残っていたから殴りまわしたが、陰険な虐めは
してない。しかし、私が二年生の時、テニス部のヤツと
ケンカをしていた記憶はあるが、そんなに虐めたか?
というくらいに思っていた。

春木や他にもテニス部にいたヤツらに、今だから言える
がとまたもや言われ、今度は何だ?と思ったら、
テニス部の時に喧嘩をしていた話だった。
それは記憶にあったが、彼等が言うには、凄まじかった
と言われた。私がどんな事をしていたのか聞き返すと、
色々言われた。
まず「ダンゴ虫のようになっていた奴に対して、
ラケットが砕け散るまで殴りまわしていたのを見て
正直引いた」と言われた。春木も口元を緩めて頷いていた。

記憶的には全く無い事だったので、「マジでか?」と
聞き返したが、「マジ、おおマジ」と言われたら、
春木も黙って頷いていた。
記憶にあるのは、夏のテニス大会に行った時の事は覚えてる。
理由も無く、私がかなり遅れて行ったら突然、ケンカを
売って来た。私を掴んできたので、半袖のカッターシャツの
ボタンを上から下まで引き千切って、上半身を裸にしたのは
覚えている。速攻で担任に呼ばれたので、私は、
「アイツからやって来たんすよ」と言うと、
私に帰るよう言ってきたので、そのまま帰った。

私の中学には本当にヤバい連中もいた。
万引きじゃなくて、強盗に近い連中もいた。
ケンカはしない派で、私も知っていた奴等だったが、
ケンカもした事ないし、万引きをしまくっていたのは
知っていたが、ある時、小学校の時に行っていた
駄菓子屋が潰れていた。

私がその事を学校で友人に話すと、
あれは「小林らに潰されたんよ」と言ってきた。
そこで詳しい話を聞いてみて驚いた。
5,6人のグループで一斉に店に入って、店の人が
居てもいなくても関係無しに、目の前で鞄にどんどん
放り込んで、レジのお金も全部盗んで、更には倉庫
にある未開封のジュース等が入った段ボールごと、
全部盗んでいて、私が話を聞いた時には、既に5件
ほど店は潰されていた。

いくら何でもやり過ぎだと思った私は、グループの
リーダーであった小林に脅しをかけて、近場の店で
やるのは止めさせた。

私がよく喧嘩を売られたのには事情があった。
それはまたではあるが、愚かな母親が、中学の校長
をよく知る友人に色々話して、上から圧力をかけさ
せて、私だけは別待遇にされたのも原因の1つだった。
後から母には文句は言ったが、「ごめん」と毎回の
ように謝っていたが後の祭りであった。

同時に三人は倒していた。喧嘩はどこまで冷酷に
なれるかが一番重要だ。体格など問題にならない。

春木は身長も180あり、体格も良かったが、気弱な
性格をしていた。彼が生涯で付き合った女性は2人
いた。全くモテない男だったが、高校生の時に、
サッカー部に入った彼に告白した女の子が1人いた。
毎日のようHばかりして、デートもした事も無かった。
食事にさえも一度も行った事も無い男だった。

当然、女の子の理想は崩れ去り、告白してきた女の子
のほうから別れを告げられた。その時に言われた言葉は
「あなたの事がよく分からない」と言われたそうだった。
私は大きく頷いて、
「お前を理解できる女はこの世にはおらん」と言った。
それから約10年ほど、彼女は出来ないままであったが、
会社の仲間からまずはメールからという感じで、
女の子を紹介されたらしく、生き生きとしていた。
そのうち電話で話すようになり、よく私といる時も
電話をしていた。

まだレンタルDVDの頃、私と春木は週一で借りに
行っていた。私は映画を3本とアダルトを1本借りるが、
彼はアダルト一直線で、私は春木でも楽しめる名作を
いつも勧めていたが、彼は手に取りつつも、
「まあまあまあ」と言ってアダルトを4本借りていた。

10年間で彼が見た映画は「アルマゲドン」一作のみ
だった。なのでよく一緒に飲みに行くと、映画の話に
なる度、誰でも見てるアルマゲドンを女の子に勧めて
いたが、当然、見たと言われていた。

アダルトコーナーでは、このみが似ている事から、
何度か同時に手をかけた事もあり、お互い笑いながら
譲り合っていた。パッケージがこのみだったから、
借りたら、見たモノだったことも何度もあった。

彼が会社の先輩から無修正を大量に貰って、
私にも分けると言うので、トランクを開けると
沢山のDVDがあった。私は手に取る前に、
「アッチは無いよな?」
「無い。大丈夫、普通のだから安心して」と
言われたので、何枚か貰った。

「アッチ」と言うのは、彼の先輩が見るジャンルは
ヤバいのが多かったため、私は釘を刺した。
男性諸君には分かると思うが、「需要あんのかよ!」
的に思うほどのモノが実際にある。

例えば、雄のワニとのH動画とか、不思議な事に
確かにコーナーとしては狭いが、借りられている
事も多々あった。その他だとヒーロー戦隊モノとか、
顏も出して無いし、服も脱いで無いヤツとか、
誰でも出来るし、ってか誰が入ってんだよ!と
言いたくなるようなモノや、ストレートに排出物
を豪快に出すヤツとか、そっち系の先輩だったので、
目にしたくも無かったので、一応聞いた。

そして、その日に見たら完全ストレート系だった。
停止からスタートしたため、最悪に近いモノが
映っていた。
次の日、当然、即返却した。
私が「これアッチ系だぞ」と言うと、
何故かちょっと照れながら、受け取った。

レンタルする時も、彼は店員が可愛いと、私に
借りて来てほしいといい、そうでもない女の子だと
借りる事ができた。
彼的にはとんでもない勘違いをしているようだった。
もしかしたら俺の事が好きかもしれないと妄想ばかり
で、現実では有り得ない事ばかり想像していた。

よくタイトミニやミニスカートの女の子を見ると、
私に耳打ちして、
「あれは絶対ドスケベだ。っかー、
襲ってメチャクチャにしたいわ」と小声のつもりで
言っていたが、丸聞こえであった。

ある日、いつも行くレンタルショップで、返却されて
無いDVDがあると店員に言われて、怒っていた。
「いつも借りに来る時に返却をするから絶対返してる」
と彼は言っていた。私としか借りに行かないので、
私も返してるはずだと思うと店員に言ったが、
なかなか相手も納得しなかったが、返却した事になり
普通に彼はいつも通り、アダルトオンリーで借りて
車に戻った。その時も車の中を調べたが無かった。
トランクには入れるはずは無いが、彼は一応確かめると
言ってトランクに向かった。

私は助手席にいたが、彼が呼ぶのでトランクに向かうと、
先ほどもめていたDVDがあって二人で爆笑した。
でもあれだけ啖呵たんかを切っておきながら、
今更、返せる訳も無く、二人で車に戻って私を送る途中、
道にそのDVDを投げて証拠隠滅した。

春木はよく自分のせいじゃないと思い込み過ぎる所も
あって、ある日、いつものように彼が迎えに来ると、
車から異臭が放たれていた。
助手席に乗りながら我慢していたが、
春木を見ると何故かニヤついていた。

そこで私は、「車、臭くないか?」と言うと、
春木は「俺もそう思っていたけど、
言い難くて言えなかった」と言いやがるので、
「え、俺じゃないで」と言うと、
「いやいや、俺でも無い」と言うので、
車を止めて、調べる事にした。
息を吸うのも限界クラスの臭さだったからだ。

まずは私の靴や服などから調べたが、当然
大丈夫だった。
そこまで来ても彼は自分じゃないと思っていた。
そして後ろ座席を調べると作業靴があって、
彼が鼻を入れるとすぐに離れた。
「これじゃわ」と恥ずかしそうにしていた。

「お前、さっきまで1人で乗ってて、
気づかんかったんか?」と尋ねたら、
「全く分からんかった」と言っていた。

二番目に出来た彼女とは年齢が一回りくらい
離れていて、付き合い始めた当初、彼女はまだ
高校生だった。春木と付き合えるくらいだから
相当ヤバいんだろうなとは思っていた。

そしてついに会う事になり、彼は気合を入れて
彼女の家のほうに向かって行った。
私はゲーセンで対戦で鉄拳をしながら、
3時間くらい経った頃、電話が鳴り、春木だった
ので、中はうるさいので外に出てから取った。

最初は聞き取れないくらい小声だった。
何があったんだろう?と思うと笑いが出たが、
あと10分くらいで着くと言われたので、
私は外で待っていた。

いつも見る光景なはずなのに、
私は気づかなかった。

奥から私を呼ぶ声が聞こえて始めて春木だと
気付いた。漫画のように落ち込み過ぎて
ゲッソリしていた。

私が笑いながら、あまりに元気が無いので、
「どしたんな?」と聞くと、彼は一言だけ言った。
「めっちゃブス」爆笑してしまったが、
春木のストライクゾーンはメチャクチャ広いのに、
コイツが言うって事は相当ヤバいんだと思った。

「じゃあ別れるんか?」と聞くと、
「一発だけやったら別れる。最悪、
顏に袋かぶせてやる」と言った。

「お前、そこまでしてやりたいんか?」と聞くと、
「一発だけ」と答えた。
一発も二発も変わらんと思いながらいたが、
結局、一発どころか付き合い続けるようになった。

そして地元に衝撃が走る事が起きた。
春木の仕事は鳶職とびしょくで、かなり力が
無いと無理な仕事をしていた。
小さい会社ではあったが、ヤバい人が多く、
首から下まで全て入れ墨が入った人とか、
チャイニーズマフィアとの繋がりもあって、
一度だけ、春木が他県に逃げようとしたことがあった。

それは中国に行かされそうになった時だった。
完全に鳶職では無い仕事をさせられようと
していた。日本刀を首に当てられて死線は
くぐり抜けてきて自信もついていた。
昔のような弱気な春木では無くなっていた。

一時だけ一緒の現場で、私は知り合いに頼まれて
バイトをした事があったが、ある日、いつものように
早朝に迎えが来ると、車に乗ってから春木に
目を向けると、ボクシングの試合でもしたのかと
思うくらい顔面がボコボコになっていた。

当然、朝一から笑わされたが、春木はいつものように
「まあまあまあ」と口癖のように言いながら、
理由を尋ねると、昨夜、会社のメンバーで飲み会が
あったと話し始めた。春木はお酒は強く無いのだが、
春木の会社の飲み会は、腕相撲をして負けた人が
全て支払うというもので、春木は鳶職をする前は、
牛乳を運ぶ仕事をしていた。

それもかなりの力仕事で、片手で60キロの牛乳が
入ったものを移動させる仕事をしていた。
腕相撲にも自信を持っていたが、会社の初の飲み会
の時、彼は一番下になり全額を支払った。
その後、徐々に上になっていったくらい、
鳶職は力仕事だ。社長がいつも一番強くて、
良い年齢であったが、軽々と百キロくらいなら肩に
乗せると言っていた。
支払い額はだいたい15万前後だと言っていた。

その日は社長の機嫌も良く、店を皆が出て社長を
送ろうと春木は声をかけた。すると社長は、
「いいから行け、あそこのタクシーに送ってもらう」
と言ったが、タクシーなど止まって無かった。

暴走族上がりみたいな車が止まっているだけで、
他には何も無かった。

社長は車に腰かけていた連中に、声をかけた。
「どこどこまで送れ」と突然言われて相手は当然、
驚いていた。「いや僕たちは・・・」と言った瞬間
顔面を殴った。当然、相手は吹き飛んだ。

そして春木に向かって社長は、
「お前がやれ」と言われた。春木はド変態でドスケベ
の妄想野郎ではあるが、喧嘩の経験は一度も無かった。
しかも、相手は悪くないのに、殴れる訳が無いと、
心で思っていたら、会社のナンバー2である普段は
優しい人だが、酒が入ると恐ろしくなる人が、
「オヤジ。俺に任せてくれ」と言って、
春木の教育として、春木をボコボコに殴りまわした。

春木は現場に向かうまで、その話をしながら
向かったが、その人から「昨日はごめん」とだけ
言われたと言っていた。
私は内緒でバイトに行っていた。
IHIという日本でも大きな会社の1つであり、
戦艦大和を作った会社でもあった。
叔父は東大主席で卒業し、ヤマトの設計も担当して
いた。だから素性は一切言っていなかったが、
働き始めて3日後、上層部が騒ぎ始め出したと
私が入った会社の社長が話しかけて来た。

もうバレたのかと思い、社長に何故上層部が騒ぐのか
理由を話した。社長は驚いていた。
そして春木の会社の社長までもが、優しく接してきた。
他でも書いたが、叔父とは差しで家で飲んだ時に
言っていたが、出張費用無制限だと言っていた。
幾ら使っても問題無いと話していた。

上層部からすれば、上層部の上に当たるほどの人で
あった為、恐らく名前から誰かが気づいたのだと
思った。よくある事だったので、私的には慣れては
いたが、扱い方は難しくなった。

私が入った会社は今はまともな人だけだったが、
以前はヤバい仕事の人もいた。夏は暑くてシャツを
脱いで水浴びなどしていた時、入れ墨が背中一面に
入った人や、指が無い人などもいた。

昔は誰もがヤンチャをしていた人たちだった。
その中の1人に私は言われた。
「ここはお前のような奴がいる場所じゃない。
他に仕事が出来ない人が来る最下層の場所だ。
お前は俺たちと違って、上に行ける人間だ。
こんな酷い扱いを受ける俺たちを助けてくれ」

私はそれを受け入れ3カ月の予定であったが、
一ヶ月で辞める事になった。

春木の話はまだまだあるが、ひとまずここで
区切ってまた話そうとおもう。
だからタイトルに1をつけた。

下から上まで見てきた私は、異例中の異例の
存在でしかない。構想が無い訳では無い。
ビジョンは見えてはいるが、今はnoteに没頭
するべきだと心が言っている。

今は一応、自由の身だ。今の社会では個人で
力をつける事の出来る時代となった。
まだ遠い構想だが、その成否は私次第だ。

やらなければ消え去り、やると決めたら成否
に関わらずやれるだけの事はすると決めた。

やると決めたから私は今も書いている。

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