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解釈は自由。リンジュー・ラヴ|マカロニえんぴつ

最近マカロニえんぴつにどハマりしております。

きっかけはこちら、、


ボーカルのはっとりさんの言葉の選び方が
私はとても魅力的に感じたのです。

歳を取れば取るほどに、
外見よりも才能に魅了されることが増え…。

昔は好みの顔に惹かれてばかりだったけど、
男女関係なく、才能を感じる人って素敵なんだな…と思うようになったんです。


兎にも角にも、言葉選びがなんとも言えない上品さ。

素敵です。





と前置きはここまでにして。

今日はそのマカロニえんぴつの「リンジュー・ラヴ」について語ります。
(この曲ほんと好きなんです。メロディも歌詞も。曲への愛が止まりません。)


リンジュー(臨終)、
亡くなった人から生きている人への曲ですね。


歌詞もストレートに読むとそうなんです。

だけど、私は
あと一歩で届かなかった愛の物語のように受け取りました。
というかむしろそっちにしか聞こえない。

終わっていく恋は、まさに恋の臨終ですしね。


「もう触れられない」は、
この恋を想うことができない。

「何度もあなたの名前を、届かない声でも呼びたい」は、
声に出せないけど、呼べる関係ではないけど、名前を呼んだら振り向いて欲しい。

「最後の夜だとするなら ふざけない声で叫びたい まだ消えない!燃えたって残る想い」は、
今日で最後にするから、最後の夜くらいは本音を言いたい、でもまだこの想い消したく無い。




というように感じてしまう。



そんな永遠の片想いソングに聴こえてしまっては、胸がキュッと苦しくなったりもして楽しんでます。



作品は潜在意識の投影といいますが
この曲がヒットした理由にも繋がるように思います。
集合的無意識になにかが触れているような。


様々な解釈ができるからこその評価なのかなと思ってます。


解釈は自由で無限大ですね。

何度聞いても飽きない、
何度聞いても心に響く、

素晴らしい作品です。

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