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キタダ、詩を読む。…VOL.6 キタダ、書評集を読む。『木星とシャーベット』(丸谷才一)


2012年に書いた文章です。

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新刊ではないが、丸谷才一氏の『木星とシャーベット』(マガジンハウス、1995年)を近所の図書館で借りてきて楽しんでいる。

昨今あまり腰を据えて本を読んでいないが、丸谷氏の書評や諏訪哲史氏の「偏愛蔵書室」(中日新聞連載)、もろもろの新聞雑誌の書評欄を熟読して読書欲をみたしている。もともと長いものにあまり集中力が続かないので、ちょうどいいのである。

さて丸谷氏の書評を一読して、ミラン・クンデラとアントニー・バージェスが気になる名前になった。

クンデラなら『不滅』(菅野明正訳、集英社)と『冗談』(関根日出男、中村猛訳、みすず書房)。『別れのワルツ』(西永良成訳、集英社)も前半は面白そうだ。バージェスは『ナポレオン交響曲』(大澤正佳訳、早川書房)。


この一冊には、文章読本としての効用とたのしみもある。

「(海老沢泰久の文体は)テキパキと小気味がよく、伝達力に富む。彼は輪郭をきれいに取つて、あつさりと色を塗る。読者はそれによつて事情を知り、状況を把握することができる」
     (海老沢泰久『ただ栄光のために』への書評「正統的な散文」)

「太い線がいい速度で引かれていて、無用な線はきれいに消してある」         
     (飯田龍太『句集 遅速』への書評「現代俳句から古俳諧へ」)

その見本を、丸谷氏自身の文章で目の当たりにすることができる。

「『儒』とはもともと雨乞ひのまじなひ師のことらしい。つまり呪術国家、殷の呪術者たち。殷が亡び、呪術が衰へると、彼らは喪祭の専門家になつて旅をするやうになり、従つておのづから見聞が広くなるため、人生の相談役といふ色調を強めて行つた。春秋時代の人、孔子は、この種の人々の学風ないし倫理観の完成者である。ただし彼の説く迂遠な徳治主義は諸侯に受入れられず、孔子は弟子を引き連れて放浪の旅をつづけるしかなかつた。」
            (陳舜臣『儒教三千年』への書評「孔子学派」)


最初の一文で読者に疑問を抱かせ(雨乞ひのまじない師がなぜ「儒教」につながるのか)、余計な間をおかず三つ目の文できれいに説得する。そして孔子が放浪を余儀なくされた事情にまで筆は及び、殷から春秋時代まで数百年の経緯をあっさりと、それでいて強くはっきりとデッサンする。しっかりしたロジックに裏打ちされつつ、どこか優雅で色気さえある文章だ。

文章を読む愉楽とともに、書き手としてもよき見本が満載。
手放せない一冊だ。



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