閼伽3止

「神聖」が転じて「怖い」に


「あか」は水そのものだった。閼伽水の「神聖」な意味合いが、「あか」が「恐ろしい」「怖い」というニュアンスに転化したのではないかと推察する。あか水と閼伽水が同じような音、響きから、「あか」」の「恐ろしさ」が「神聖」「神仏に供する水」の意味合いに転じたと思われる。
江戸時代の寛政から安政年間にかけての随筆家、山崎美成(よししげ、1796~1856)は著書「三養雑記」の中で、「閼伽」は「水」そのもののことだと指摘した。ということから大胆にざっくり推測して、舟・船の「あか」と混同されないように神仏に捧げる井戸水を仏教用語の「閼伽水」と呼んだと推察している。
となると、チョロチョロと漏れ出している水のことを「あか」「閼伽」と呼んだとしても不自然ではない。本来チョロチョロだが、泉のようにこんこんと湧き出る井戸は、神仏に供する「神聖な水」の湧き出る井戸の意味合いで「閼伽」と呼ぶようになったと言っても過言でない。

興聖寺の井戸


 京都市上京区の堀川通り沿いにある臨済宗・興聖寺にかつて閼伽井として使われていたとみられる浅井戸がある。水は湧き出ていないが、掘りぬいた土壁の周りを石済みにした古格な造り、たたずまいからかつては水が湧き出してたまっていたとみられる。

     

【 京都・興聖寺の浅井戸 】



蘆山寺・雲水の井
興聖寺の井戸と同じような形状の井戸が京都御苑東側にある紫式部ゆかりの京都市上玉寺町通広小路の蘆山寺にある雲水の井。

随心院の井戸




 【 京都・随心院にある小野小町が洗顔したといわれる井戸 】
 
京都市山科区の随心院にある小野小町が顔を洗ったといわれる井戸も興聖寺、蘆山寺の井戸と同じような造りで閼伽の名残かもしれない。
奇説のようだが、経験的にこの推察は意外に的を得ていると考えている。
(おわり)

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