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【新潟県で震度5弱】気象庁「今後1か月程度は震度5強程度以上の地震に注意」

復興のお祈りと
お見舞い申し上げます。

2024/01/09

 能登半島地震から8日目。大規模な火災が発生した「輪島朝市」で9日に150人態勢の捜索が行われました。なぜ火災は広がったのか、当時、消火にあたった消防団長が証言しました。

■「輪島朝市」150人態勢で捜索  立山連峰を変わらず昇り続ける朝日。ただ、朝日が照らす町は一変しました。一面、焼け野原となった輪島朝市。昼近くになり、空からは冷たい雨が降り注ぎます。9日午後、150人態勢で大規模捜索が行われました。  石川県の死者は日を追うごとに増え、202人に。安否不明者は102人。その多くが輪島市内です。  近くに避難した85歳の女性。朝市にあった自らの家も燃え、知り合い2人が行方不明のままです。 住民 「ちょろちょろと火が出ていた。『あんな小さい火なら、すぐ消える』と皆言っていたが、だんだん火がでかくなった。ただ涙が出る、悲しくてね。本当に火事を恨みます。火事さえなければ」

■“日本三大朝市”を襲った炎  日本海に流れ込む河口に位置した輪島朝市。メインストリートを記す石碑も跡形もなくなっています。以前は鮮魚や農産物の店が軒を連ね、歴史を感じさせる白壁の建物が並んでいた場所です。  3階建ての建物や焼け焦げた店が残された一帯。88の店が軒を連ね、奥能登の人情と活気にあふれた市を去年は約20万人が訪れていました。  平安時代の物々交換がその始まりといわれ、“日本三大朝市”の一つにも数えられ、地元の人や観光客でにぎわった名所。その面影を火が跡形もなく消し去りました。 住民 「消防車の人が『水がないから消火できない』と言うから、ぼうぜんと見ているだけ。この火事がなければと悔やまれてならない」  なぜ、これほどまでに被害が拡大したのか。私たちは当時、消火活動にあたった消防団から貴重な証言を得ました。 消防団 「行ってみても、水位はすごい下がっていた」  実は本来、水があるはずの場所に水がなかったというのです。

■消防団長“津波”で想定外の事態  輪島朝市を襲った火災。最初に消火にあたった消防団の川端卓さん(70)。この朝市で生まれ育ちました。 輪島市消防団 川端卓団長 「私は電器店やってます。私70年間ずっと、生まれてから朝市見ながら育ちました。(知人が)多分まだ不明者なので。つらいです」  最初に火の手を見たのは朝市のメインストリートから外れた場所です。 輪島市消防団 川端卓団長 「あの電信柱、立ってますよね、電柱。あの電柱の辺り、私が見た時には赤く火の手が上がってた。この辺り2、3軒ほど火が。放水しようと思ったら水がなくなっちゃって、川の水が引いてしまって水を供給できなかった」  断水に加え、津波の引き潮によって川にも消火する水がなかったといいます。最初は範囲が小さかったものの、木造の住宅も多く一気に広がりました。 輪島市消防団 川端卓団長 「火の粉がすごく舞い上がり、木造に飛ばされていって、ばーっと出てきて、これは大変だと。水がなかったことが一番悔しい」

■新学期も…石川県内36校休校  再開のめどが立たない場所もあります。本来なら新学期を迎える学校。子どもたちが元気に登校する姿はありません。被災地では、約2万6000人が避難所となっている小中学校などに身を寄せています。受験を控える中学生は切実です。  下駄箱は物資が積まれ、廊下にまであふれています。 野球部生徒 「(Q.誰が好き?)大谷翔平」 「(Q.学校始まらなかったが?)悲しい」  志賀町の4つの小中学校は23日の再開を目指していますが、さらに先になる可能性もあります。校長は3月に定年退職を迎える予定でした。 富来中学校 板岡和之校長 「悲しくて涙が出そう。あと3カ月は原状復帰に一生懸命、頑張ろうと」 [テレ朝news] https://news.tv-asahi.co.jp

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