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Halloween World  其の弐

 部屋に運ばれた私は、マナに支えられて自室で座り込んでしまった。
「大丈夫? 最近は忙しかったらしいし……睡眠と鉄分不足でしょ」
「別に……この、くらいの、体調の急変は……よくある、ことだ……」
 まったく大丈夫ではないが、早くマナには出てもらわなければ。
(あの時みたいなことは……もう、起こしたくないのに……)
 マナを突き飛ばす力もない私は、ただ顔を背けることしかできない。
「私の血でよければ、飲んでいいよ」
 そう言って、マナは躊躇うことなく服をはだけて首をさらす。
(……本当に、お人好しなやつめ)
 良い、匂いがする。
 いけない、ダメだ。
 残る力でマナから離れ、自分の手を思い切り噛んだ。自分の血など何の味もしない。けれど、時間稼ぎ程度にはなる。マナには、早く出て行ってほしかった。
「……茉莉。そうやって強がるのは、君の身体によくない。前だって、君の体調の影響が出たことがあったろう?」
「それ、は……」
「とにかく、私はそう簡単に貧血にはならないから。大丈夫だよ、茉莉」
 マナは私の肩を抱き、わざと晒した首元に近づける。
「マナ、いけない」
「大丈夫だよ。私は、他とは違う」
「……っ、どうなっても、知らないからな」
「うん。別にいいよ」
 抑えが効かなくなった私は、マナの首元に嚙みついた。久々に飲む新鮮な血は、恐ろしいほど美味だった。
(いけない、これ以上は、ダメだ)
 マナは何も言わず、ただ私の背をさするだけ。泣きたくなるのをこらえて、私は吸血を止めた。傷口をペロリと舐める。すると、小さな傷はすぐに塞がった。
「すまない……本当に」
「だーから、別にいいって。もういいの?」
 チラッと上を見ると、マナはただいつも通り笑うだけだった。
「……あぁ」
「とりあえず、今日のところはゆっくり休みな。このところ、忙しかったんでしょ」
「仕事が、残っているから……戻らないと」
「君ねぇ……そのワーカーホリックをどうにかしなよ……」
 そう言いながら、今度はマナが私を抱きしめるように覆い被さる。
「今日はゆっくり休むこと。他には私から言っておくから、ね」
「……仕事が溜まる一方だ。簡単には休めない」
「アラン君に任せておけば、大丈夫だよ。とにかく休みな」
「う……でも、」
「でも、じゃありません」
「うわっ、」
 急に抱き上げられると、そのままベッドへ直行された。
「おい!」
「はいはい、文句を言わないの。早く寝な。おやすみ~」
 マントをひっぺがされ、あれよあれよのうちに寝かされてしまう。しかも、マナの特殊な喉を使われた。急激な眠気に襲われる。
「こっ、言霊使うの、は……卑怯、だぞ……」
「また明日ね。今夜の面倒ごとは、私が陽真理にも伝えておくし。ゆっくりしなさい」
「う……」
 マナの頼り甲斐のある笑みを最後に、私の視界は暗転した。


「ふぅ……」
 やっと寝息を立て始めた茉莉を見て、とりあえず一息ついた。
「まったく、本当に仕事バカなんだから……」
 わざわざ言霊を使わなければ、睡眠をとることもないなど、正直おかしいと思う。
(この喉にも、感謝しなきゃな)
 私の喉は、他の奴らとは違う特徴がある。この喉は、魔力を意識しながら言葉を発すると、相手を意のままに操ることができる。少なからず相手にもその気がなければ本当に意のまま、とはいかないが、それなりの強制力はあるのだ。
 茉莉や陽真理に出会わなければ、この力を呪ったままだったろう。
「君らには、長生きしてもらわないと。私が困るんだよ? まったく」
 ベッドに浅く腰掛けると、少しばかり顔色がよくなった茉莉の表情を眺めた。寝不足の証のような濃い隈は、茉莉がどれだけ仕事に身を捧げているのかよく分かる。
 彼女が生きるために、吸血行為は必要不可欠だ。なのにこの子は、血を飲むどころかその行為自体を忌避しているような気さえする。過去に土足で踏み入るつもりはないが、この子のトラウマの元凶が吸血なのだろう。
 普段はワインや輸血用の血液で胡麻化しているようだが、それも長くは持たない。
 茉莉はずっと、自分で自分の首を絞め続けているのだ。
 すると、外から控えめにノックする音が聞こえた。
「どうぞー」
「失礼します」
 入ってきたのは、おそらく後処理を終えたらしいアラン君だ。
「領主は?」
「寝かせたよ。明日の朝までぐっすり」
「なら、良いのですが……」
 アラン君は茉莉に似て、表情の機微が分かりにくい。だけど今だけは、とても不安なのだと私でも分かる。
「顔色悪いって分かっていて、君はこの子に仕事をさせてたんだ?」
「……何度言っても、休んでいただけないんです」
「それは私も同意する。君も配慮してたのは知ってるよ」
 私の突飛な一言に、アラン君がポカンとしたまま動かなくなった。
「はい……?」
「あの子の執務机。前に来た時よりも、書類が減っていた。ただ茉莉の仕事ペースがまた上がっただけかと思ったけど……君もかなり疲れた顔をしていた。だから、もしかしたら、と思ってさ」
「……」
 バルコニーへ出ると、気持ちのいい夜風が吹いてくる。その緩やかな風に吹かれると、自分の黒い本性が洗われるようだ。
「あなたはなぜ、あんなふざけたような演技をしているのです?」
「え? だってさぁ、」
 夜空に浮かぶ美しい三日月を背に、私は笑った。
「バカでふざけたヤツの振りをしていれば、勝手に私のことを誤解してくれるでしょ?」
 バルコニーに出てきたアラン君は、今度は怪訝そうに顔を歪めた。
「あなたが腹黒いのは知っていますが、腹の中に蛇でも飼っているのですか?」
「ははっ、君も言うようになったねぇ」
 茉莉や陽真理は、私の中で一等大切な存在だ。二番手は船員たちや、領地で事務仕事を任せている部下たち。だが、本当の私を知るのは茉莉と陽真理だけ。そこにアラン君も加わるとは、面白い展開になってきた。
「茉莉もいい部下を持ってるなぁ……君に任せておけば、あの子は大丈夫そうだね」
「……私はまだまだです。まだ、あの方の隣に立つだけの力が、足りていない」
 悔し気に俯く姿は、その言葉が本心だということなんだろう。
 月を見上げ、私はアラン君に初めて本心を告げた。
「……君はたぶん、信頼しても大丈夫だ。茉莉があれだけ気を抜く相手は、私たち以外で君くらいじゃないかな? 要は、あの子が気を許している部下なら信頼できるってこと。私もね」
「そう、でしょうか」
「そうそう。私が言うんだから、本当だ、よっと、」
 手すりに上がると、空に一発、銃弾を撃つ。正確に言えば、空砲だけれど。
「ちょっと……領主が起きたらどうしてくれるんですか!」
「大丈夫さ。朝までぐっすりって、言ったでしょ? それに、今から行くところがある。だからここの港、借りるよ」
「別にかまいませんが……」
 戸惑うのも当然だ。アラン君は近頃の吸血鬼領の騒がしさの理由を、まだ知らない。
茉莉ならあるいは、と思ったけれど、あの体調では気づかないのも無理はない。
「しばらくしたら、茉莉の忙しさも緩和されると思うよ」
「何をする気で……?」
「二、三日経ったら帰ってくるから、茉莉に言っておいて」
「は、はぁ……」
「じゃ、またね~」
   手すりからそのまま飛び降り、私は港へ直行した。
   茉莉の仕事量の多さ、墓場での悪霊騒ぎ、それらは繋がっている。 下手をすれば、かなり大きな問題になってくるかもしれない。
「急がないと、面倒なことになるかもなぁ……」
   これから起きるであろう問題を想像すると、本当に面倒だ。


   そうして私は、キョンシー領へ向かった。

  〜〜続く

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