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『カリフォルニケイション』 レッド・ホット・チリ・ペッパーズ

 ハードロック好きの友達はすぐに裸になりたがった。酒を飲んでいるとやたらと全裸になりたがるやつもいた。あれは何なんだろう・・・たいした肉体美でもないし、さほど立派なモノを持っているわけでもないのに・・・私の周りには何故か脱ぎ始める人が多かった。もちろん学生時代のことであるが・・・。
かくいう私も野外コンサートなんかで素っ裸になって周りを驚かせたことが多々あるが、なんか開放的になりたいという気持ちは非常に理解できる。自由だなぁなんて勝手に思い込んで、普段、陽の光が当らない部分に光を当ててやって、ちょっとのんびりとした雰囲気になってみたりして・・・。でも、これはレッキとした犯罪行為であり、わいせつ物陳列罪で逮捕されても仕方がないのだ。中には裸を女性に見せてその反応を楽しむといった変態さんもいるが、私の周りのロッカーはそういう類の人たちではなかった。とにかく自分が気持ちよくなりたい・・・って同じこと?

 60年代から70年代のロックミュージシャンは自由と反体制を掲げ音楽を商売にしていた。もちろん、そういった傾向はその当時の時代背景に委ねられたものなのだが、とにかくロックは社会に対する若者のアイデンテティであった。だから、「常識を覆す」とか「大人の言うことは信用してはいけない」なんてことが当り前に存在していた。
そしてアメリカには「ヒッピー」という文化が生まれ、イギリスでは「モッズ」という生き方が形成されていく。特にアメリカのそれはベトナム戦争の影響から「愛と自由」を唱えるようになり、音楽的に言えば1969年のウッドストックでその終焉を迎えることになる。愛と自由を求め音楽の祭典を3日間繰り広げたウッドストック。そのイベントの中にはヒッピーが溢れ、全裸で水浴びをし、水溜りで遊ぶ映像がスクリーンから飛び出した。
 同じ頃、カリフォルニアの青い空とは対照的なダークサイドにジム・モリソン率いるドアーズが活動していた。彼は感情の赴くままパフォーマンスを繰り広げ、時には全裸となって衆人の前で逮捕されるという事件を起こす。
 ジョン・レノンは愛と平和を訴え、ビートルズとは別にソロ活動を開始し、ヨーコとアルバム作りに没頭する。そのジャケットは全裸だった。そう、あの時代は文化や時代のカリスマたちがこぞって全裸になった。
平和主義という観点から全裸イコール「武器を持たない」ということ。そして、全裸イコール「ありのままの自分」を表現したのだろう。
そんな先人たちの行動を見てきた我々の全裸への想いは・・・何か。

 最近の裸族バンドはなんと言ってもレッド・ホット・チリペッパーズ(略してレッチリ)だ。こんな紹介ではなく本来なら音楽性を語らなければならないのだろうが、まずは彼らこそ現代の裸族ロッカーであることを伝えなくてはと思ったからこんなに長いイントロを取ってしまった。。
 彼らは靴下を男のシンボルに履かせ、練り歩き、演奏する。一見馬鹿馬鹿しく見える彼らだが、その演奏力は高く、ハードロックとファンクとヒップホップを合体させたミクスチャーである。
そして90年代以降のロックを語る上で最重要なバンドであることは間違いない。

 歌詞の内容は推して知るべし。騒々しい楽曲の中でアンソニーがドラッグやアルコール、アナキズム、快楽主義、刹那主義、性的描写、そして男のシンボルを叫ぶ。
つまり、自由を表現しているといってしまえば、60年代や70年代のロッカーたちと大差はないということだ。しかし、大きくずれることは時代背景がぜんぜん違うということ。
 黒人もゲイもレズビアンもドラッグも30年前と比較すると90年代は全てにおいて市民権を得ている。そんな中での彼らのパフォーマンスを先人達は天国からどう見ているのだろうか。
 1969年から30年経った1999年に開かれたウッドストック99に出演した彼ら、そしてそのパフォーマンスを見たファン・・・。ファンの一部が暴徒化し、放火騒ぎが起きる中のライブであったが(ベースのフリーはそんな時でも全裸!)、盛り上がり方が異常というかなんというか。もう、時代性なんて飛び越して刹那的に走っている潔さがある。馬鹿もここまでやれば大したもので、アンコールでは遠くに燃える炎を見ながら”Fire”を演奏するセンス。最高な時間だったと思う。

 彼らはパフォーマンスや言動、奇怪な行動ばかりが目立つが、本職である演奏を聴けばそれまでの彼らへの見方は180度変わるだろう。特にベースのフリーのリズム感とアンプを歪ませながらリードギターのように弾き倒す奏法は、レッチリの音楽性を方向付けている。
 1995年発表の『ワン・ホット・ミニット』ではギターがデイヴ・ナヴァロに変わり、レッチリのアルバム史上一番ハードロック寄りとなったが、それもアルバムプロモーションツアーを終えるとさっさと脱退し、ジョン・フルシアンテが1999年発表の『カリフォルニアケーション』から復帰した。
たった2枚のアルバムでレッチリを語ることはできないが、この2枚に集約された音楽性が彼らの大部分を占めていると確信する。特に『カリフォルニアケーション』は、タイトルからして彼らの持つユーモアが炸裂している。

「彼らの昔からの活動拠点であり、資本主義の象徴であるハリウッド映画産業を抱える" California"と「姦淫する」という意味を含む"fornicate"を合わせた造語であり、一種のレベリズム的なタイトルになっている」ウィキからの抜粋。

 レッチリのド派手でハードファンクな内容を踏襲しつつメロディアスな面も見せた本作はセールス面でも成功を収め、グラミー賞も受賞し、名実共に頂点に上り詰めたバンドとなった。
こんな書き方をすると大顰蹙を浴びるが、彼らはただの裸族ではなかったのだ。私は親愛なる想いを込めて言いたいが、魂の開放を求めた裸も立派なアピールであるしそれがまかり通る世の中は平和な証拠なのかもしれない。ただ、それが刹那的に見えてしまうところがレッチリであるし、真のロックバンドというものだ。

2012年7月30日
花形

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