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『翼あるもの』 甲斐よしひろ

 カバーアルバムが一般化したのはいつか?
2000年以降でいえば徳永英明の『Vocalist』(2005)のシリーズは7作を数え、中性的なハスキーヴォイスで女性ヴォーカルの楽曲をパフォーマンスしている。
 福山雅治の『The Golden Oldies』(2002)はテレビ番組「福山エンヂニヤリング」内で福山がカバーした日本の名曲をアルバム化したもの。
最近ではさだまさしのデビュー50周年を記念して『みんなのさだ』(2023)で複数のミュージシャンがさだまさしをカバーしている。トリビュートというジャンルだ。昔は亡くなったミュージシャンのトリビュートアルバムが通例だったが、最近では先程のさだまさし同様ユーミンや加山雄三など存命のミュージシャンのトリビュートアルバムも多く発表されている。

 日本で最初にオリコン1位を記録したカバーアルバムは吉田拓郎の『ぷらいべえと』(1977)である。
この作品が製作されるきっかけは、吉田拓郎が所属していたフォーライフレコードが倒産の危機にあり、制作スタッフ側から何か発表して売上を上げなければ!という中で吉田拓郎がボブ・ディランのカバーアルバム『セルフ・ポートレート』(1970)を思い出し、そのアイデアで作り上げたもの。
 新曲が当時全く用意できなかったので作曲家として書いた曲をセルフカバーしたり、風呂で良く口ずさんでいた歌をカバーしたりと急ごしらえの作品となった。しかし、これが大ヒットしフォーライフは倒産の危機を免れた。
しかし、当時カバーアルバムは今ほど世間に受け入れられるものではなかった。特にシンガーソングライターが他人の歌を歌うという事は、才能の枯渇やら安易な楽曲制作と言われたからだ。
しかし、そんなカバーアルバムが一般的でなかった時代、製作当初から「カバーアルバム」を作る企画として制作された作品が、1978年発表の甲斐よしひろ『翼あるもの』である。
 この作品は甲斐よしひろが甲斐バンド在籍中に発表され、レコーディングミュージシャンはメンフィス録音のためすべて現地のミュージシャンで行なわれた。また、レコード会社も甲斐バンドが所属している東芝EMIではなくポリドールレコードだったため、甲斐バンド解散説も出たいわくつきのアルバムである。(後に甲斐よしひろがバンドの雰囲気を変えるためにわざとポリドールとワンポイント契約までしてソロアルバムを作ったと言及した)

 このアルバムが作られた頃、甲斐よしひろはNHK-FM「サウンドストリート」のパーソナリティーを務めており、その選曲は毎週とてもユニークなラインアップだった。
甲斐は日本のフォークやロックに造詣が深く、お喋り以上に選曲も楽しみなプログラムを放送していた。
だから、『翼あるもの』は放送での選曲センスで制作されたものだろうと思料する。

『翼あるもの』 (  )内は原曲のミュージシャン
Side A
1.グッド・ナイト・ベイビー(キングトーンズ)
 メンフィスのノリのファンキーなブラスで日本のドゥワップを明るく歌い上げる。
この曲が好きで中学時代に音楽の授業で弾き語りしたら先生から「もう少し学生らしい歌を歌え」と怒られた記憶がある。

2.えんじ(森山達矢)
 ザ・モッズのヴォーカリスト森山達矢の楽曲。森山のアマチュア時代の歌なので、誰の歌だかよくわからなかった。

3.10$の恋(憂歌団)
 この歌はよく番組でオンエアしていた。
所謂コールガールの歌なのだが、
「お前にゃすべての男が親戚みたいなものだから 愛しいお前に会うために ちょっとの金を わたすだけ」という歌詞が大人だなぁと中学生の私は感嘆した。

4.サルビアの花(早川義夫)
 伝説のバンドジャックスを解散し、ソロアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』(1969)に収録。数多くのミュージシャンにカバーされた名曲。

5.喫茶店で聞いた会話(かまやつひろし)
 シングル『四つ葉のクローバー』(1971)のB面。歌詞に3億円強奪犯のことやYOKOというワードが頻繁に出てくるところが時代を表している。

Side B
1.ユエの流れ(ザ・フォーク・クルセーダーズ)
 マリオ清原の楽曲をザ・フォーク・クルセーダーズがカバーしたものを甲斐よしひろがカバー。

2.あばずれセブン・ティーン(浜田省吾)
 アメリカンポップスな作品なのでレコーディングミュージシャンたちのノリも良い。浜田省吾が同じプロダクションだった山口百恵にこの歌を作ったがボツにされたので、浮いてしまったため、甲斐が録音させてもらった。このアルバム制作時、浜田省吾はこの歌をレコーディングしていないので、1980年のアルバム『Home Bound』でセルフカバーしている。

3.恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)
 ここらへんのジャパン・ポップスを持ってくるセンスが素晴らしい。甲斐少年が一番多感な頃の歌。甲斐はテレビ番組「シャボン玉ホリデー」での歌は全部歌えると豪語していた。

4.マドモアゼル・ブルース(ザ・ジャガーズ)
 GSも外さないところが甲斐よしひろ。しかもザ・ジャガーズをもってくるあたり、痒い所に手が届く選曲。『翼あるもの』から出した唯一のシングル盤のA面。(B面は「ユエの流れ」)
「シルクのドレスを着せてあげたい」のリフレインは、甲斐よしひろが作ったかのような熱唱で、カバーとはこういうもの、という良い例。

5.薔薇色の人生(甲斐バンド)
 ヒットシングル『裏切りの街角』(1975)のB面。セルフカバー。君と過ごした日々が薔薇色だったと回想する歌。メンフィスの乾いたサウンドとはかけ離れたエンディング。

 このアルバムのレコーディングミュージシャンで特筆すべきは、ギターにレジー・ヤング、ドラムにラリー・ロンデンを迎えている事。プレスリーのレコーディングで有名。流石メンフィス。
そして、ハービー・マンの『メンフィス・アンダーグランド』(1969)に参加している名うてのミュージシャンが揃っている事。
 甲斐よしひろの伸びやかなハスキーヴォイスとメンフィスのミュージシャン、選曲の妙。どれを取っても納得のいくアルバムだ。

 このアルバムが発表された後、中島みゆきは『おかえりなさい』(1979)というセルフカバーアルバムを。(オリコン2位)
尾崎亜美は『POINTS』(1983)から2009年まで合計5枚のセルフカバーアルバムを。
井上陽水は『9.5カラット』(1984)でセルフカバー。155万枚売上。
竹内まりや『REQUEST』(1987)セルフカバーアルバム。4年かけてミリオンセラー。
 他にも小田和正、玉置浩二、泉谷しげる、谷村新司、さだまさし、椎名林檎などセルフカバーアルバムを発表するミュージシャンは後を絶たない。セルフカバーブームが訪れた。
 セルフカバーには2種類あり、他人に書いた曲を自分で歌うというパターンと一度自身で発表した楽曲を再録音するというパターン。
 私は前者は本人歌唱が世に出ていないのである意味新曲として受け止められるが、後者は一度発表した作品の録り直しなので、リスナーは一度その歌を受け入れている訳だから「余計なお世話」と感じてしまうのだ。初めて聴いた時の感動や思い出を勝手に書き換えないで欲しいということだ。
また、後者のセルフカバーはその時代の音に変わるので、その時は良くても変化を付けた事で色褪せるのも早い気がしてならない。ヴォーカルだけは老いた筈だし、失望する割合も大きい。そういった意味で私は後者のセルフカバー否定論者であるが、カバーアルバムは違う。カバーする人の解釈で新たな歌が生まれる。
歌を愛しているからこそのカバーであるから、元歌の作詞家や作曲家は作家冥利に尽きるだろう。
 甲斐よしひろがその楽曲にもう一つの命を授け、新たな歌を生み出しているのだ。
(因みに甲斐バンドもセルフカバーを発表しているが、それには全然興味が湧かない)

 1978年の『翼あるもの』は今でも全然色褪せない新たな命を授けた作品である。

2023年11月4日
花形

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