12月8日の課題曲②「くちなしの花」

詞:水木 かおる
曲:遠藤 実
歌:渡哲也
くちなしの花」は、1973年8月21日に渡哲也が発表。1974年にヒット。
ミュージック・マガジンが発表した、1970年代昭和歌謡ベスト・ソングス100の中の89位。(1位は尾崎紀世彦の「また逢う日まで」)


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くちなしの花 - Wikipedia
「プロデューサーの山口光昭が、クラウンレコードにいた昭和45年か46年頃に「海軍特別攻撃隊 遺書」という戦没学徒の遺書を著名人の朗読で収録するアルバムを企画した(1972年4月に、規格品番GWX-35~36の2枚組LPでレコード化)。その際に、江田島の旧海軍兵学校の資料館や防衛庁で集めた遺書の中に、作家の曽野綾子に紹介された宅島徳光海軍飛行予備中尉の遺稿集「くちなしの花」があり、愛する女性に対する想いをつづった遺書があった。宅島中尉は訓練中の事故で亡くなっていたため、レコードには収録されなかったが、山口は二十四歳の命を空に散らせた若きパイロットの詩から受けた感動を忘れられなかった。その後、昭和47年にポリドール・レコードに移り渡哲也の担当プロデューサーになり、前作の「男の別れ歌」が全国的にキャンペーンを展開するも不発に終わり、次作にこの「くちなしの花」が思い出され、花の歌に得意な水木かおるに作詞を依頼、企画を練った[4]

  • 遠藤実の元に水木の詞が届いた際には、第1稿から20回ほど手直しが入っていたが、「今では指輪もまわるほど~」の部分が2コーラス目の真ん中に入っていたのを、「いちばんおいしいところがここではもったいない」と遠藤がさらに注文をつけ、1コーラス目の頭に変更になった[4]

  • 遠藤はこの曲を作るにあたって、歌手としては素人の渡の立場を深く考え、「できるだけこねくり回さず、曲想をシンプルにして、音域を増やさないように心がけた」。「できあがった曲をピアノで弾いていたら涙が出た」と渡に言うと「この歌で先生お泣きになったのですか」と驚かれ、一瞬拍子抜けしたが、その要因の一つに編曲があると考え、遠藤が編曲料を持ち、再度編曲を斉藤恒夫に依頼した」

「くちなしの花」渡哲也
(651) くちなしの花 渡哲也 - YouTube
「くちなしの花」歌詞
渡哲也 くちなしの花 歌詞 - 歌ネット (uta-net.com)

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