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武雄神社に樹齢三千年の大楠

トップ写真 珍しく美しい武雄神社拝殿


武雄神社

今日も佐賀の神社をご紹介。
武雄温泉近くにある武雄神社

祀神は、
武内宿禰【たけうちのすくね】
武雄心命【たけおこころのみこと】
仲哀天皇【ちゅうあいてんのう】
神功皇后【じんぐうこうごう】
応神天皇【おうじんてんのう】
五柱の神を総じて武雄大明神と号します。

主祭神である武内宿禰は、
政治を補佐する大臣として
第12代から第16代までの5代の天皇に仕え、
実に360歳を誇る
日本一長寿の神様として知られています。
更に武運長久、
開運、厄除けに
霊験あらたかな神様としても信仰があります。

ここまで、武雄神社HPより。

主祀神は武内宿禰。
360歳まで生きたそうですよ。
すごい長生きしたんですね。
ほんまかな?

境内案内とご由緒

九州に多い神功皇后ゆかりの地

創建の経緯は神功皇后。

『武雄神社本紀』によると、
神功皇后が三韓征伐の帰途、
武雄に兵船を止め、
それが御船山に化したとあります。

同行していた住吉神と武内宿禰が
御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し創祀されました。

天平7年(735年)初代宮司 伴行頼に
『吾は武内大臣である。
艫には住吉神がおられ、
艫嶽に祀られていても畏れ多く落着かないので、
幸い軸嶽に自分を祀るならば、
末永くこの地に幸福が訪れるであろう。』
との神託がありました。

行頼は太宰府を通じて朝廷に奏請し、
武内宿禰を主神に、
仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、
武雄心命を合祀し北麓に奉遷し
武雄宮が創建されたと記されています。

拝殿と桜 後ろの山がご神体かな?

元寇の影響

鎌倉中期の元寇では、
未曾有の国難に際し、
伏見天皇より異国降伏の祈祷の
『綸旨』を賜る光栄に浴するなど、
国家的な存在でありました。

本紀によれば、文永の役の十月二十日の夜、
武雄神社の神殿から鏑矢が元軍船目掛けて飛び、
元軍は逃げていったとしてあり、
また、弘安の役では
上宮から紫の幡が元軍船の方に飛び去って、
大風を起こしたとあります。
この霊験により『九州五社ノ内』と称され、
九州の宗社として隆々と栄えた時代もありました。

現在では武雄の氏神社として、
また樹齢三千年のご神木を祀る神社として、
氏子はもとより
全国各地から広く信仰を集めております。

こちらも武雄神社HPより。

もはや神 三千年の大楠 12畳

白い社殿と樹齢3千年の大楠

参拝の日は、あいにくの雨。

桜が開花していました。

桜と拝殿

大変珍しい白い拝殿。
とても美しい神社です。

本殿も白

拝殿も、美しく見るべき価値が
あるのですが、

ここ武雄神社には、
樹齢3千年の大楠があります。

3千年ですよ。
縄文時代から生き続けている大楠。
根本は空洞になっているのですが、
その広さは畳12畳。
とても広いです。

武内宿禰の360年も凄いです。
その9倍ほどの長生き大楠。
大らかな気が漂っていました。

大楠を見上げる書き手 書き手は身長180センチ

車で数分の場所には武雄温泉があります。

武雄のシンボルである楼門。
千と千尋の神隠しのモデルになったと
言われる温泉等。
見どころあります。

武雄温泉楼門
レトロな雰囲気 武雄温泉

私は、写真撮影だけで、
温泉には入れず。
少し悔やまれます。

徳島も佐賀も最高

訪れたことがない県。
ワースト1位、2位を争う、
徳島県と佐賀県。
ですが、徳島はもちろん。
佐賀県も素晴らしいスポットや
見どころが沢山あるでしょ。

おそらく、
都会の派手さに飽きた人たち。
これから、古き良き日本の風景が残る
徳島や佐賀に、
多くが訪れるようになると思いますよ。

ワースト1位と2位。
と、いうことは、
最後に行く場所として残っている。
何年か以内には、
ブームが来る予感。

日本人よりも、
日本の良い所をしっている外国人。

実は、
徳島、佐賀に多くが訪れているのですよ。

日本人の皆様、ご存知でしたか。

今日は、徳島ではなく、
佐賀の観光PRでした。

是非、佐賀県を訪れ、
佐賀の魅力に触れてみたくださいね。

食べ物、最高にうまいですよ。

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