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伊勢外宮の神様 豊受大神についての話

トップ写真 伊勢外宮鳥居前


伊勢神宮と戦国武将

江戸時代に盛んとなったといわれるお伊勢参り。
ですが、戦国時代の頃は、
一時期、困窮していた時期があるそうです。

式年遷宮の財源がなかった時期。
それを救ったのが織田信長公。
伊勢神宮へ大金を寄付したそうです。

しかしながら、織田信長公は式年遷宮を見る前に
本能寺の変により亡くなります。
信長公の遺志を継いだ、秀吉公、家康公により
引き継がれ、江戸時代の隆盛へ繋がった。

伊勢内宮神楽殿待合所の絵

何年か前、伊勢参拝の折、
師匠に教えていただいたお話です。

織田信長公は、ご存知のように寺を焼き討ちに
したりと残酷なイメージもありますが、
神道には寛大であったようですね。

そこで調べてみると、
信長公の出自は神官の系統。
そして信長公は忌部氏であったという情報。
ネット上で読むことができます。

他にも、弘法大師空海も忌部説。

信憑性は置いといても、
日本の歴史の過程で忌部氏が担った役割。
表には出てないですが、
凄い功績を残しているのでしょうね。

今も大嘗祭のあらたえは忌部でなくてはならない。
これはスゴイことです。

今日は伊勢外宮の神様について書こう。
そう思って書き出したのですが、
なぜか織田信長公から
忌部氏の話になってしまいました。
(すみません)

伊勢外宮の神様はどこから来た


伊勢外宮に祀られる神様。
豊受大神。

伊勢外宮 拝殿前


天照大御神が近くに呼んでほしい。
そう告げられ、現京都府宮津市にある
籠神社(この神社)から招請されました。
よって、籠神社は元伊勢と呼ばれています。

丹後国一宮 籠神社 

伊勢外宮に祀られる豊受大神。
オオゲツヒメ、ウカノミタマ、ウケモチカミ等々。
同神でありながら、
記紀にはいくつかの名前で登場します。
混乱するでしょうが、同神。

このような流れから、宮津市にある籠神社が
元伊勢として多くの方に認知されています。

今日ご紹介する神社は、元元伊勢と言うべきか。
徳島県神山町にある上一宮大粟神社。
古くは天照大御神を祀っていたそうですが、
現在の祀神はオオゲツヒメ。
イザナギとイザナミの国生みで登場する神様。
阿波の国神で五穀の神様。

上一宮大粟神社鳥居扁額

元伊勢とされる籠神社がある丹後地方の伝承。
羽衣伝説。簡単に言うと、かぐや姫みたいな話。
天女がトヨウケの神。即ちオオゲツヒメ。
天女を育てた老夫婦の名前が和奈佐(わなさ)。
和名佐とは、トヨウケの神を宣布した神人集団。

他、出雲風土記に登場する阿波枳閇委奈佐比古命。
(あわきえわなさひこのみこと)
あわきえ(へ)とは、阿波から来たという意味。

阿波で最古の歴史のある町。
県南の海部郡海部町には、
式内社として、
和奈佐意富曽神社(わなさおおそ)が残っています。

徳島県海部町 式内社 和奈佐意富曽神社


元元伊勢ということに


国文学者折口信夫氏によると、
『意富曽(おおそ)はおおちに通じて、
祖父の意味がある。つまり、丹後国と出雲国は、
共に阿波の和奈佐意富曽を根拠としており、
伊勢外宮の祀神はオオゲツヒメであることがわかる。』
そう記しています。
(記紀の説話は阿波に存在した たま出版より)

元伊勢とされている籠神社。
そのまた元社かもしれない上一宮大粟神社。
山の中の田舎には不釣り合いな大鳥居。
阿波の青石で組まれた参道石段。
境内は凛として、清々しい気。

上一宮大粟神社大鳥居
参道石段
上一宮大粟神社拝殿

その別格感は参拝すれば分かります。
ただの神社ではありません。

オオゲツヒメの前に
お祀りしていた天照大御神。
ひょっとして、伊勢の天照大御神もまた
この上一宮大粟神社から移されたのでは。
そんな伝承も残っているほどです。

またこの神社がある場所。
素戔嗚(すさのお)が高天原に侵入した際の
第一防衛砦であった。
そんな説もあります。
(古代史入門 藤井榮著)


伝承記録と現代の一致


noteを続きで読んでくださっている読者様。
ここまで神社他、資料があると、
最初は、そんな馬鹿な話があるわけないじゃん。
そう思ってた方も、
事実かどうかはわからんけど、面白そう。
そう感じてくださったとしたら嬉しい限り。

私なんか、
スサノオノミコトが高天原に軍勢を率いて近づき、
天照大御神他、高天原の神々がうろたえる様子。
イメージとして浮かんできます。(かなり重症)

最後にもう一つ。
元伊勢とされる籠神社。
籠神社を守り続ける神官家。
海部氏といいます。

海部氏といえば、
阿波沿岸部を拠点に活躍した海洋民。
そして、神人集団である和奈佐。
和奈佐を祀る和奈佐意富曽神社が残る地。
海部郡海部町。

和奈佐意富曽神社扁額
和奈佐意富曽神社前 すぐ前が海
海部町近くの宍喰町竹ケ島神社 海洋民 海部氏は海を自由に移動していた

これは単なる偶然の一致なのでしょうか。

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