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芸術新潮最新号が届いて

昨日の昼前に注文した『芸術新潮最新号』が十時頃ポストを確認するともう届いていた。
あまりに迅速なAmazonのこのサービスはもはや過剰だと感じるが、近隣の書店を探して置いていなかったのだから仕方がない。

まだ冒頭の浅田彰による批評を読んだだけだが、相変わらずわかりやすく過不足なく坂本龍一という音楽家の活動全体について語っている。
ただし、出てくる固有名詞についてある程度の理解が前提となっているのは相変わらずで、これはイケズというべきか、知っていて当然とすべきか、僕はスラスラ読めるから一般的にどうかという判断はできかねる。

例えば、現代音楽を更に前衛的に突き抜けていったシュトックハウゼンのみならず弟子のコーネリアス・カーデューにも触れながら、同じドイツのロック・バンドのカンからクラフトワークという所謂ジャーマン・ロックの流れをきちんと踏まえて、その同時代に音楽家としての活動を始めた坂本龍一をひとまず理解するというのは極めて真っ当なものだが、コレ一読しただけでは普通の人はまーわからんよなと感じてしまうのは確かでもあり。

晩年の作品に見られる「もの派」との邂逅と共感により生まれた作品群についても同様で、わからないならGoogleで検索してWikipediaで調べられる時代とはいえ、より深い理解は更に踏み込んで学んでいかねば得られないことはインターネット以前と変わらないのだから、相変わらず高踏的で行け好かないと感じる向きもいるのかもしれない。

しかし、坂本龍一はそうした背景や出会いを抜きにしては理解できない音楽家であるのは間違いなく、僕らの世代はわからないならば理解したい理解せねばと一生懸命追いかけていったものだが、今はどうなんだろう。

少なくともSpotifyで検索して各々を聴いただけではわからない。
YouTubeあたりにある関連動画の中で良質なものを正しく選んで学び、そこで初めて一応の理解は可能となるが、それら自体時間も何を選ぶかという感性も必要とされてコスパやタイパが悪いことこの上なく、今時やる人いるのかなといういつもの浅田彰節でもあった。

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