もののけ姫とギルガメシュ叙事詩

本を読むとき、自分で理解しやすいので相関図を書きます。
今まではインプットとしての読書をしていましたが、アウトプットしたい気持ちが強まったので、試しに相関図でまとめたものを元に投稿をしていきたいと思います。

今回は宮崎駿監督の最新映画が公開されたこともあるので、関連のある「ホメオスタシスのゆくえ」という本を紹介します。中でも、宮崎駿監督の作品に関する第6章をまとめていきたいと思います。

日本人にとっての山

古来、日本人にとっての山は神聖な場所でした。山は沢山の恵みを私たち人間に施してくれます。また、修験道の修行の場でもありました。
しかし、明治維新後に登山は西洋的な考えに基づくようになります。
自然への畏敬はスポーツに変質されました。山があるから登る(ヒラリー)という考えは、あくまで人間側の論理です。本来、日本人にとって山は神聖な場所であり安易に足を踏み入れられる場所ではなかったのです。

アシタカは縄文の末裔

アシタカは神武天皇に敗れ東国へ落ち延びた長髄彦(ナガスネヒコ)の末裔という設定があります。彼の出身の集落も、縄文の集落をイメージしているそうです。
アシタカは物語の主人公ですが、「曇りなき眼で見定め、決める」と自ら言うように映画で次々と出てくる問題のモノサシのように映ります。それは、通常の意味での主人公は在って無きがごとく…シシ神の森という自然の基盤が物語の主役を多く占めているためです。ここから分かるのは、監督が作品に取り上げたのは「自然破壊」の問題だということです。

森を伐ることで文明が現れる

ここで、本題です。「もののけ姫」の物語はある物語と類似しています。それは、今回のテーマである「ギルガメシュ叙事詩」です。
ギルガメシュ叙事詩のストーリーのあらすじを説明すると以下の通りです。

ウルクのギルガメシュ王は、森の神フンババの殺害を企てる。腹心の友であるエンキドゥに協力を求めるが、エンキドゥは制止を試みる。ところがギルガメシュは聞く耳をもたず、フンババ殺しを実行する。その時、激しい嵐が起こりフンババは弱る。弱ったフンババはギルガメシュに助命を嘆願する。しかし、勝ちに乗じたエンキドゥはフンババの殺害を主張し、二人はフンババの頭を打ち落とし、金桶に押し込めた。ギルガメシュは木を伐採し、エンキドゥは木株を掘りおこした。

ギルガメシュのフンババ殺しは、エボシ御前のシシ神殺しに似ています。
もののけ姫ではその後の様子は描かれていませんが、古代メソポタミアは実際に木材を求めて遠征軍を派遣し、自然破壊を繰り返しました。
しかし、ギルガメシュは英雄です。もちろん、森林にとっては悪役でしょうが、文明発展の視点では間違いなく英雄です。つまり、自然破壊は人類の進歩に不可欠なのです。

アシタカの出した答え

もののけ姫とギルガメシュ叙事詩が類似していることを述べましたが、ある部分で2つは対照的です。それは「森林喪失」の深刻さの捉え方です。
現在、先進国は他地域からの自然の搾取によって文明を維持しています。その点はギルガメシュの時代と少しも変わっていません。このことから分かるのは、結局人間は森がなくては生きられないということです。
どんなに立派な都市を作っても森の資源がなければ生きられないのです。

もののけ姫ではエボシ御前を中心にした人々の生活を描きつつ、森を守ろうとする「もののけ」たちにも意見を語らせており、ギルガメシュ叙事詩と違って、森林破壊に対する問題提起を孕んでいます。

シシ神の死によって森の神聖さは失われてしまいますが、それでもサンは森で生きることを選び、アシタカはタタラ場で暮らしつつ時々サンに合う約束をします。一見中途半端な結論のようですが、アシタカの「森と人は争わずにすむことはできないのか」というセリフで分かるように彼はあくまで中立なのです。
これから森は人間の干渉を受け続けることでしょう。それならば自然と共生することを目指すのが最善なのかもしれません。宮崎駿監督は最後の判断を映画を見たものに委ねていると思われます。

森と人は和解したのではない

ラストシーンでアシタカとサンがシシ神に頭を返す場面がありますが、宮崎監督が描きたかったのは森と人の和解ではないそうです。最後に自然が復活し、祟りがなくなったのは全てシシ神がやったことであり、人間の力は自然に遠く及ばないことを示唆しています。
自然は自然のままにホメオスタシスを発揮します。そもそも自然は人間など眼中にないのかもしれません。その恒常性を維持する営みを黙々と果たしているのみです。
ハブとマングースとヤンバルクイナの問題のように人間の浅はかな知恵で自然はどうにかなるような甘いものではないのです。そういう傲りを捨てて、人間は自然の一部であることを受け入れたならば、アシタカはギルガメシュとは異なる運命を見いだせるかもしれません。

トトロはコダマの生き残り

おまけですが、破壊されたシシ神の森に一人ぼっちのコダマが佇んでいます。このコダマはもしかしたら数百年後、トトロとなってひっそりと暮らしているのかもしれません。

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