#23 声にならない声
その日の帰りもいつものように海辺の道を手を繋いで歩いた。
私の心はとても満たされていた。
中山さんが土曜日の私の誕生日に会うことを望んでくれた。中山さんは既婚者だから週末には会えない。でも会いたいってわがままを言った私の気持ちを受け入れてくれた。私の時間がほしいって、私と一緒にいたいってまっすぐにはっきりと求めてくれた。
そのことがとってもうれしかったし、中山さんが私の手をいつもより強く繋いでくれているように感じたからホッとした。
波の音が優しく聞こえる中で中山さんが私を抱きしめてキスしてくれて、すごく幸せな気持ちがあふれる。
大好きで離れたくない。
何度もそう思ってきたけど、今日はいつもより強く感じる。中山さんもそうなのかな。キスが長くて私はとろけそうになった。
そのとき、ある音が断続的に聞こえてきた。
スマホの着信音だ。
中山さんが一瞬、戸惑い、私も思わず着信のバイブ音に耳をそばだててしまう。
低く鳴り続く音。
私たちはそっと離れ、音が鳴る先のカバンに視線を落とす。
奥さんだろうか。
中山さんが電話に出るかためらってしばらく沈黙になった。繋いでいる手から迷いが伝わってくる。
少しして音は止み、また波の音が耳に届いた。二人の間に小さな緊張が生まれたけれど、次第に波の音にかき消され、ゆるんだ空気が流れはじめる。
それなのに、また音は鳴り出した。
「出てくださいね」
たまりかねた私がそう言うと、申し訳なさそうに中山さんはカバンを開けてスマホを取り出し、「ごめんね」と少しだけ私から離れて背を向けた。
聞きたくないと思ったけど、波の音以外何も聞こえないこの場所で中山さんの声を消すことは難しくて、そのままぜんぶが耳に入ってくる。
「あぁ、もうすぐ帰るよ。うん。仕事。あ、そうかな。いや、ちょっと今日は遅くなってるね。うん。ごめん」
そんな声が聞こえる。奥さんを思いやる口調が心に痛い。
電話を切った中山さんがまた「ごめんね」と言った。
「土曜日、すごく楽しみにしてます」
中山さんに一瞬でまとわりついた奥さんの気配を消したくて、わざと明るく話を戻した。
「お仕事で遅くなっても気にしないでくださいね。会えるのがうれしいから」
そんなふうに笑って言うと、中山さんはいつも通りの笑顔を私に向けてくれた。
ねぇ、迷わないで。奥さんのことを考えないで、私だけを今は見て。中山さんの笑顔に声にならない声をぶつけた。
中山さんが優しく私の手をとってくれて、またゆっくり歩きはじめる。
私は自分の部屋に向かって。
中山さんは奥さんの待つ家に向かって。
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中山さんはシリーズ化しています。マガジンに整理しているのでよかったら読んでみてください。同じトップ画像で投稿されています。
続きはこちらです。
第1作目はこちらです。ここからずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼りました。それぞれ超短編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を追ってみてください。
『中山さん』シリーズ以外にもいろいろ書いています。よかったら覗いてみてください。
お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨