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ばちなんて、ないない。

なんの「ばち」かというと、不倫のばちです。そう、不倫の天罰みたいな話です。

不倫をしたらばちが当たるんじゃないかと私はけっこう思っています。不道徳なこと、誰かを裏切る行為、そういうことをするといつかきっと自分に返ってくると思っています。

逆にいうとその覚悟を持って飛び込むのならご自由に、ということだとも思っています。すべて失う覚悟ね。


先日、友達は言いました。

「ばちなんて、ないない」って。

ばち当たらないの?


私ね、noteをはじめて3日目に『不倫と天罰と心の「隙」と』という記事を投稿しています。初期のころはnoteには知り合いもほとんどおらず、ほんとうにひそっと文章を書いていました。

でもいま、この文章はダッシュボードによると大台に乗っていて、全記事の中で上から3つ目にリストアップされています。やっぱりタイトルのインパクトなんでしょうか。

デビュー3日目ですからね、なんの気負いもなくさらっと書いたものです。それほど深く掘り下げた記事でもなく、友達が「不倫したらきっと天罰が下ると思う」と言ったのでそのことから思ったことを書いただけです。

余談ですが初期のころの記事ってちょっと恥ずかしいんですよね。文体とか書き方が少しいまと違うので、文章が醸しだす空気が違う気がします。だからビューの上のほうに登場するとちょっと動揺します。あぁこんなにたくさんの人に読まれてしまっているという動揺です。

読んでもらえてうれしいのに動揺するのはいかにも私らしいなと思います。そういうわけでその記事へのリンクはここには貼らないことにします。


あれから10ヶ月。

今度は別の友達が「ばちなんて、ないない」って言いました。

「え? ばち当たらないの?」

「そんなのないない」

ないのかぁ。前の記事では「天罰怖い」って締めくくったんだけど、天罰ないんならなぁってぼんやり空を見上げています。ふわふわと。


でも結局ね、物事をどう自分が捉えるか、なんですよね。

悪いことをしたあとに交通事故にあったとします。右足を骨折して入院になりました。

ある人は思います。

「あぁ、あんな悪いことをした天罰が下ったんだ」と。

別の人は思います。

「右足の骨折だけで済んで良かった」と。

同じ物事でも自分がそれをマイナスに受け止めるかプラスに考えるかによって見え方は変わってきます。

天罰になるかどうかは自分次第なんでしょうね。

悪いことした人には天罰がくだってほしいとは一応思いますが、当の本人が天罰だと思わなければ天罰にはなりませんね。


#エッセイ #不倫 #天罰 #思考 #プラス #マイナス #note #文章



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